「こんな所に越した理由は何なんだ。お前の仕事に不便だろうに。馬には乗れるようになったのかよ」「それを説明する前に、紹介したい相手がいる。少し待っていろ」そう言うとアルトゥールは二階に上がっていった。そして降りて来た時、一人の若い娘を連れていた。二十歳前くらいだろうか、可愛いと言える範囲の容姿をしている。だが生気が無いくらいにひどく大人しそうで、それが美貌を半減させているようにヴィスリンには見えた。「スティーナと言うんだ。半年程前から一緒に暮らしている」「……初めまして」娘は礼儀正しくお辞儀をし、見た目に相応しいやけに静かな声で挨拶をした。だが人見知りが激しいのだろうか、アルトゥールの後ろに隠れたそうにしている。一人暮らしだとばかり思っていたのに、女性と暮らしている事にヴィスリンは驚いた。「何だ、お前結婚したのか!?」そうじゃない、とアルトゥールは笑った。古い知人の孫娘なのだが、祖父を亡くして身寄りが無くなったので引き取ったのだと説明した。だがヴィスリンは完全に納得しなかった。小さな子供でもないのに、引き取る必要があるのだろうか、と。「スティーナ、こいつはヴィスリンと言って俺の幼馴染みだ。見ての通り、俺と同じルティアナだ」ルティアナとは種族の名前だ。人間と言えばそうだし、人間では無いと言えばそうだ。この種族の者は皆、青みのある銀髪をしていて、左目は濃い茶色をしている。右目の色はそれぞれ違い、ヴィスリンは薄い茶色でアルトゥールは赤紫色だ。彼等の種族の特徴は他にもある。産まれて思春期頃までは普通に成長するが、それ以降は極端に遅くなる。そしてその分長寿なのだ。ヴィスリンとアルトゥールは外見は二十代後半に見えるが、実際には百歳を超えている。
「初めまして。どうぞよろしく」ヴィスリンはスティーナに手を差し伸べたが、スティーナはどこか戸惑っている。その様子を見てアルトゥールが軽く笑った。「スティーナ、こいつの事は信用して良い。だから君を紹介した」「……はい、アルトゥール様。失礼致しました、ヴィスリン様。よろしくお願い致します」ようやくスティーナはヴィスリンの手を取った。握手をしながら、ヴィスリンは不思議に思っていた。誰にでもこの娘の事を紹介している訳では無いようだ。もしかしてこの娘の存在を隠す為に、この家に移り住んだのだろうか。「すぐにお茶の用意を致します。それともお酒の方がよろしいでしょうか」警戒心らしき物は解けたらしく、スティーナはヴィスリンに微笑んだ。お茶が良いな、とヴィスリンが答えると、アルトゥールはくれぐれも火傷などしないように、とスティーナに注意した。スティーナは分かっています、と答えると台所へと向かった。「やけに過保護なんだな。お茶の用意くらいで大火傷なんかしないだろう。もししたってお前ならすぐ治せるだろうに」呆れた口調でヴィスリンはそう言った。アルトゥールは治癒師なのだ。薬の知識も豊富なら治癒術もかなり使える。だがアルトゥールはどこか淋しそうに答えた。「俺には彼女は治せんよ」
居間でアルトゥールとヴィスリンが話し込んでいると、スティーナがトレイにお茶のポットとカップを持ってやって来た。そしてテーブルに並べると、二人の邪魔をしないようにすぐに下がった。部屋の扉が閉められてから、アルトゥールはヴィスリンに聞いた。「どう思う、彼女を」「どうって、そうだな、笑えばもっと可愛いだろうにやけに生気が無いな」率直な感想にアルトゥールは苦笑した。彼女に生気が無いのは、アルトゥールも以前から気にしていた事なのだ。引き取る前はそうでも無かったのだが。それからヴィスリンは疑問をぶつけた。「お前はさっき、彼女が火傷したら治せないと言ったな。どういう事だ。お前は宮廷から仕官するように、要請されている程の腕だろうが」かなり以前から宮廷治癒師として仕官するようにと、アルトゥールには話がきていた。だが宮仕えは堅苦しくて面倒臭いので、適当な理由をつけて断り続けている。その話は国王軍で大隊長を勤めている、ヴィスリンの耳に何度か入っていた。「確かに俺は自分の治癒師の腕には自信がある。俺が宮廷治癒師になったら、地元の連中が非常に困るだろうってくらいにはな。だがな……お前は彼女が人間に見えるか」「人間以外の何だって言うんだ?」スティーナはルティアナでは無かった。それなら他にはこんな姿をした生き物は人間しかいない。不思議そうなヴィスリンに、アルトゥールは自嘲めいた表情を見せた。
「彼女は、人形だ」その答えにヴィスリンはすぐに言葉が出なかった。彼女は普通に歩いていたし口も聞いた。瞳や皮膚などどこをどう見ても人間だったし、握手をした時に触れた感触は温かく柔らかかった。「……冗談か?」「人形なんだよ。俺は治癒師を職業にしているが、お前は俺の事を知っているだろう?」何を知っているのか言いたい事は分かったので、ヴィスリンは肯定した。アルトゥールは治癒師だが、本当は使える呪術は治癒だけでは無い。呪術師では無く治癒師を名乗っているのは、その仕事に専念したいからだった。「彼女の祖父ってのは人形を作る職人でな、亡くなった孫娘に似せた人形を作ったんだ。それを俺が呪術で自動人形にしたのさ」スティーナは本当は主に木材で作られた人形で、呪術によって人間に見えているだけなのだと、そうアルトゥールは説明した。説明されてもまだヴィスリンは信じられなかった。あの娘が人間では無いなどとは。アルトゥールの呪術師としての力が結構な物らしい事は、ヴィスリンは昔から知っていた。だがまさかここまでとは思っていなかった。自動人形と言ったが、スティーナは命令されるままに動いているようでは無かった。自分の意思で動き話す事まで出来るのか。「……それで彼女を隠して、此処に住んでいるのか」「そうだ。彼女は歳をとらない。そこまでの呪術は俺にはかけれなかった。だからお前に紹介した時に、彼女は戸惑っていたのさ」人目を避けて住んでいるのに、他人に紹介されるのは抵抗があったのだろう。という事は、彼女は自分が人目についてはいけないと理解しているのだ。一体どこまで人間に近く出来上がっているのだろうか。司米安
「これが俺の近況さ。ヴィスリンはどうだ?」「相変わらず上には嫌われてるさ。騎士階級や貴族階級の産まれでも無い俺が、大隊長にまで昇進してるもんでね。『成り上がりの若造』なんて呼ばれてるが、あいつらの倍は俺の方が生きてるんだがな」陽気な口調でヴィスリンは答えた。平民の自分が何の後ろ盾も無く大隊長まで昇進したのは、それだけの実力があってこそで、充分自分に自信があった。だからヴィスリンはなんと陰口を叩かれようと気にならない。だが昇進は喜ばしいだけの事では無い。それだけ武勲を立てるだけの機会があった、と言う事だからだ。この国はずっと以前から、西の隣国に狙われているのだ。国境付近では何度も戦が起きていて、死傷者の数も結構出ている。西の隣国は無償の傭役(ようえき)制度があり、あまり豊かな国では無い。そして国王は野心家だった。この国は豊かな土壌に恵まれていて、作物が豊富だ。国土を広げるだけではなく、その豊かさを隣国は狙っているのだ。おまけに隣国の国教は他の宗教の存在を認めない。同じ宗教を信仰していないこの国は、滅びるのが彼等の道理なのだ。「俺はこの国が滅ぼうが国王が変わろうが、興味は無い。今の政より悪くさえならなければ、だがな。だがあの土地を荒らされるのは、黙って見てられない。戦えるうちは戦うさ」ヴィスリンが軍人になったのは、愛国心からでは無かった。何度も戦が起きている西の国境付近には、ヴィスリンの妻の故郷がある。その土地に妻は二十年近く前に眠りについた。すでに土に還っていても、このまま静かに眠らせてやりたかった。
ヴィスリンの妻はルティアナでは無かった。異種族の婚姻はあまり祝福される事が無い。何故なら異種族間に子供が産まれた事が、過去に一度も無いからだった。だから一般的には、自然の摂理に反する事のように思われていた。それに成長速度が違う事も、あまり祝福されない原因の一つだった。妻はヴィスリンが青年の姿の間、どんどん年老いていった。だが老婆になっても、ヴィスリンの妻への愛情は欠片も変わる事は無かった。その事に妻の親族達は安堵したが、もし亡くなった時は二人共妻の産まれ故郷に眠らせる事、という条件は変わらなかった。おそらく妻の両親は、ルティアナに娘を奪われてしまうと感じたのだろう。二人の結婚を認める代わりに出された条件に、ヴィスリンは反対しなかった。「隣国は異教徒の俺達を殺す事に、何の疑問も持たない。そう叩き込まれて育ってるんだからな、そう簡単に価値観は変わらないだろう。せいぜい派手に殉死させてやるが良いさ」苦々し気にアルトゥールはそう言った。治癒を生業としているアルトゥールにとって、殺戮と殉死を賛美する隣国の価値観は嫌悪すべき物だった。この国では戦う者は職業軍人だが、隣国では違う。異教徒と戦う者は彼等の信仰する神の使いなのだ。殺戮や強奪を進んでする者が神の使いか、とアルトゥールにすればただ馬鹿馬鹿しかった。「ところでヴィスリン。お前が軍人になると言い出した時の約束は、覚えているか?」うってかわって呑気な口調で聞くアルトゥールに、ヴィスリンは呆れた。忘れたくても忘れられるはずが無いからだ。
「お前なあ、これが見えないのか」ヴィスリンは自分の左耳を指差した。そこにはガーネットのピアスがはめてあった。王都に向かう前に、アルトゥールにさせられたのだった。「ちゃんとはめてるな」「絶対に外すなと言ったのはお前だろうが!」ピアスどころか宝飾品に全く興味の無いヴィスリンは、当時随分と嫌がった。結局押し切られたのだが、どうしてピアスをする必要性があるのか、全く説明はされなかった。「化膿するし熱は出るし、そこまでして俺がピアスをする意味は何なんだ」「ちゃんと薬を出してやったし、治癒術もかけてやっただろうが。俺とお揃いで嬉しいだろう?」けろりとした口調と表情でアルトゥールは答えた。確かにアルトゥールの右耳には、お揃いのピアスがはめてある。ヴィスリンにピアスをさせる少し前に、自分で開けたのだ。結局この日もアルトゥールは説明を一切しなかった。
二人は夕食を食べヴィスリンが持参した酒を酌み交わし、懐かしく楽しいと言えるだけの時間が過ぎた。また長期休暇が取れたら来ると約束をして、ヴィスリンは帰る為に立ち上がった。家を出て行く前にヴィスリンは、アルトゥールの肩を抱いて頬に口付けた。「花びらの降る朝を」「ああ。花びらの降る朝を」同じ言葉を返して、アルトゥールもヴィスリンの肩を抱いて頬に口付けた。その様子をスティーナは黙って見ていたが、ヴィスリンが出て行く前に声をかけた。「あの、ヴィスリン様」「ん?」「お二人は恋人だったのですか?」大真面目な質問に、ヴィスリンは腰が抜けそうになり、アルトゥールは声を上げて笑い出した。今二人がした事はルティアナの風習だった。肩を抱くのも頬に口付けするのも、決して恋愛感情からくる行為では無い。相手が友人でも家族でも普通にする。ルティアナは死別で無い限り、別れる時にさようならを言わないのだ。代わりに「良い明日が相手に訪れますように」と言う意味で交わす言葉、それが「花びらの降る朝を」なのだ。それを説明されると、スティーナは何か言いたそうな表情をした。だが自分からは何も言わなかった。それに気付いたアルトゥールが、失礼だろう、とヴィスリンをひじでつついた。ああ、とヴィスリンはスティーナに歩み寄った。「花びらの降る朝を」そう言われて頬に口付けされて、初めてスティーナはヴィスリンに生気に満ちた笑顔を見せた。そしてスティーナも同じ挨拶を返した。家の外に出てヴィスリンを見送った後、アルトゥールは家に入ろうとした。だがスティーナは庭を見て動こうとしない。何を見ているのかと視線をやると、木の下にひな鳥が一羽落ちて小さな声で鳴いていた。巣に戻してやりたいと思ったが、スティーナでは手が届かない。
「アルトゥール様、巣に戻してやれませんか」その頼みにアルトゥールは首を振った。戻すべきではない、と。何故なら巣に戻しても、一度落ちたひな鳥は「生存競争に負けた者」として受け入れられず、また落とされるからだ。種類によっては、落ちても親鳥が世話を続ける場合もある。どちらにせよ、自然の摂理に手を出すべきでは無い、とアルトゥールは説明した。「……アルトゥール様」「納得出来ないか?」「それは、アルトゥール様ではありませんか」この家に引き取られる前は、スティーナはよく笑った。そうする事が祖父を喜ばせると、自分はその為に作られたのだと、分かっていた。優しい独ぼっちの祖父の為に、自分の出来る事を精一杯しようと思っていた。その祖父が亡くなり、自分の役目は終わったのだと思った。だから自分はもう存在する必要が無いのだと納得していた。だからアルトゥールが自分を引き取ると言い出した時は、ひどく戸惑った。自分の存在する意味が分からなくて、笑わなくなったのだ。「私も自然の摂理に反している存在です。破棄するべきなのではありませんか」自分を作った事をアルトゥールは後悔しているのではないかと、スティーナはずっと疑問に思っていた。呪術で生命を作ってしまった事、しかも意思を持ってしまっている事。だから自分をこの家に隠しているのではないかと。確かにアルトゥールはスティーナの存在を隠していた。好奇の目で見られるのも嫌だったし、こんな呪術が可能な事も公にしたくなかった。公になった場合、悪用されない保証は無い。例えばいくらでも代用の利く奴隷のように。三体牛鞭--三體牛鞭
「私は自分で自分を破棄出来ません。そのように出来ていますから。ですがアルトゥール様なら、呪術を解くなり崖から突き落とすなり……」淡々としているスティーナの言葉はそこで遮られた。「死にたいのか」「……分かりません」「死にたいと思っていないのなら、生きれば良い」素っ気ない口調でそう言うと、アルトゥールは家に入るように促した。それ以上スティーナはその話題を続けず、大人しく従った。納得したからなのかどうか、アルトゥールには分からなかったが。人形作りの職人では無いアルトゥールには、スティーナがどんな傷を負っても治せない。壊れたらそれで終わりだ。しなくていいと言ってもスティーナは毎日家事をし、それは人形の寿命を確実に縮めている。おそらくルティアナである自分の方が長生きだろうと、アルトゥールは思っている。だから、最後まで側に居てやろうと決めていた。祖父を亡くして独りになった彼女が、二度と独りにならないように。スティーナは台所で夕食の後片付けをしながら、不思議な気分だった。ヴィスリンは自分に友人への挨拶をしてくれ、アルトゥールは自分の側で生きていて良いと言ってくれる。それに対して沸き上る温かい感情がある。人形であるはずのスティーナは、自分は幸福なのだと心の底から感じていた。
ある日の午後、アルトゥールが自室で読書をしている時だった。右耳のピアスが急激に熱を持った。それはある知らせだった。急いでアルトゥールは立ち上がると、戸棚から色んな道具をかき集め始めた。それを袋につめると、大きな声でスティーナを呼んだ。「何でしょう、アルトゥール様?」穏やかに聞くスティーナと正反対に、アルトゥールは急用が出来たから出かけて来る、と切羽詰まった声で告げた。「帰りは何時頃になるか分からない。だが心配しなくて良い」「はい、お帰りをお待ちしています」それだけ言葉を交わすと、アルトゥールは玄関から飛び出して行った。開け放たれたままの扉を閉めようと、スティーナは玄関に近付いた。その時にはもう見える範囲の何処にも、アルトゥールの姿は無かった。相変わらず馬に乗るのが下手なアルトゥールだが、この時使った移動手段は馬では無かったのだ。
その頃、西の国境付近では激しい戦がおきていた。隣国の連中は異教徒を殺せば殺す程、自分達の信仰している神に祝福されると信じているので容赦も迷いも無い。だが大人しく殺されてやる気は、当然ヴィスリンには無い。剣も弓も、ヴィスリンの腕は良かった。だがこの時、ヴィスリンは自分の部隊からはぐれてしまい、孤立していた。身につけている鎧から下級軍人で無い事は、隣国の戦士達にもよく分かった。地位の高い敵を倒せば褒美ももらえるし、神の祝福もより受けられる。そう考えた隣国の戦士達は、一斉にヴィスリンに斬り掛かった。相手にするには多過ぎるな、と考えながら、それでもヴィスリンは勇猛に戦った。最下級の地位の軍人見習いから大隊長にまで登り詰めただけの、実力の持ち主なのだから。それでもやがてヴィスリンの体力はひどく消耗してきた。もう何十人敵を倒したか分からない。体力には自信があったが、戦は昼過ぎから続いておりもう夕刻が近い。背後に敵の気配を感じて振り返った時、傾きかけた陽が視界を奪った。まずいな、と思った時だった。ヴィスリンの身体に敵の剣が刺さり、激しく吹き出した血液は敵の身体をも濡らした。ぼんやりと自分から飛び散る血液を見ながら、ヴィスリンは心の中で妻にすまない、と呟いた。そして急激に意識を失った。そのまま地上に倒れるはずだったヴィスリンの身体を、支えた人物が居た。何時の間に何処から現れたのか、鎧も身につけず剣も弓も持たず、どう見ても軍人には見えなかった。だが敵には違いないだろうと、隣国の戦士達は剣を構え直した。「去ね」その人物が発した声は地の底から沸き上るような、激しく深い響きを持っていた。どう見ても軍人では無い丸腰の男に、隣国の戦士達は圧倒された。そのひるんだ一瞬に、それは起こった。その男から真っ白い閃光が起こり、その場に居た誰もが視界を奪われた。そしてようやく目を開いた時には、二人共戦場から姿を消していた。
ヴィスリンは地面に横たわっていた。その身体の周囲には正五角形に護符が置かれ、色の付いた砂で護符が繋げられ魔法陣が作られていた。それは他者から身を隠し守る為の、二重の結界だった。やがてヴィスリンが意識を取り戻し目を開けると、周囲は真っ白だった。半球の形をした白い何かに包まれている。そして戦場に居たはずなのに、物音も声も何も聞こえない。自分がどういう状況なのか、ヴィスリンはさっぱり分からなかった。「気がついたか」聞き間違えようもない声、その方向に視線をやるとアルトゥールが自分の横に座っていた。ヴィスリンの身体にかざされた両手からは、不思議な何色もの光が出ていた。その光がヴィスリンの身体を包んでいる。「……アルトゥール……どうして、此処に……?それに、この空間は、一体……?」「無理に口を聞くな。体力を消耗する。……以前約束させただろう、絶対に俺のつけたピアスを外すな、とな」無理矢理つけさせたガーネットのお揃いのピアス、それには金具部分に古代の神聖文字が刻まれた、呪術の道具だったのだ。どんなに遠く離れても、ヴィスリンの生命の危険を察知出来るように。優れた呪術師のアルトゥールには、瞬時に駆けつける事が可能なのだ。ヴィスリンはひどく疲れているが、不思議と痛みはそれ程感じていなかった。あれだけ出血したのを、自分の目で見たはずなのに。これはもしかして死期が近付いて、感覚が鈍っているのだろうか。だがそれでもヴィスリンは構わなかった。出来ればもう少しでも長生きしたかったが、今日まで妻の故郷を守る為に戦えたのだから。「ヴィスリン。お前、これで死んでも本望だと思っているだろう」図星を刺されて、ヴィスリンは力無く笑った。だがそんなヴィスリンを見るアルトゥールの目つきは冷ややかだった。
「お前が本望だろうが、何だろうが、俺はお前を死なせる気は無い」アルトゥールの両手から出ている不思議な光、それはヴィスリンもまだ見た事が無い、治癒の呪術の一種だった。全身全霊を込めて、アルトゥールはヴィスリンを救おうとしていた。だが用意した呪術道具と自分の治癒術だけでは、足りそうにない。それ程ヴィスリンの傷はひどかった。以前から心に決めてはいたが、アルトゥールは最後の手段に出る事にした。今二人は結界の中に居るので、誰からもその姿は見えない。だが周囲にはまだ多くの隣国の戦士達が居る。アルトゥールは彼等から生命力を奪う事に決めた。どうせ殉死を賛美する連中なのだ、有効に戦場で死なせてやる。それが正しい事だとアルトゥールは信じている訳では無い。だがアルトゥールにとって、どちらの命が重要なのかは自明の理だった。『東の木、南の火、西の金、北の水、中央の土。青なる春、赤なる夏、白なる秋、黒なる冬、黄なる四季。この者に花びらの降る朝を与えたまえ!』それは古代の神聖語だったから、ヴィスリンには何を言っているのか分からなかった。だがアルトゥールが呪術師としての力を発揮しているのは分かった。次第にヴィスリンを包む光が激しくなっていく。それは結界の外に居る多くの隣国の戦士の、生命力を奪ってヴィスリンに注ぎ込んでいるのだ。当然生命力を奪われた者は死ぬしかない。国が違うと言うだけで、信仰している宗教が違うと言うだけで、殺戮を繰り返す隣国をこれ以上は無い程に忌み嫌っていたのに。今そのアルトゥールもヴィスリンを救う為とは言え、殺戮者だった。自分は死後か何時か、呪術者として何らかの罰を受けるかもしれない。アルトゥールはそう考えていた。スティーナと言う自然の摂理に反した生命体を作り、今こうして他人の命を奪っている。だが他に選択肢など有り得なかったのだ。ひどい出血の為にヴィスリンは再び意識を失っていた。救う為ならば何でもする。例え救えなくても俺の側で死んでくれ。それがどんなに自分勝手な事かは、アルトゥールは理解しているつもりでいた。そして強い願いに涙を流したい衝動にかられながら、長い時間呪術を行っていた。超強 黒倍王
やがてヴィスリンは、自分を呼ぶ複数の声で目を覚ました。すでに陽は山陰に隠れており辺りは薄暗く、戦は一時中断となっていた。上に成り上がり者と嫌われているヴィスリンだが、部下からの信頼は厚い。行方不明になったヴィスリンを、部下達は文字通り必死で探していたのだ。「良かった……ヴィスリン大隊長、ご無事でしたか」部下達の安堵の言葉に、ヴィスリンは自分の身体に手を当てた。致命傷になる程の傷を負ったはずなのに、出血もしていなければ痛みも無い。鎧を着ているので見えなかったが、僅かな傷跡すらその身体には無かった。鎧も顔も手も血で染まっていたが、部下達は返り血なのだと解釈した。ただヴィスリンは気を失っていただけなのだと。地面に寝転がっていた身体を起こすと、やけにヴィスリンは頭が重く疲れていた。アルトゥールが側に居てくれたような記憶があるが、あれは夢だったのだろうか。戦場で独りで死ぬ事になると思っていたヴィスリンは、それが現実だったなら嬉しいのだが、全く現実感が残っていなかった。部下達に身体を支えられて、まだ足に力は入らなかったが、無事にヴィスリンは本陣へと生還した。
その夜、アルトゥールは居間で一人酒を飲んでいた。その様子を眺めながら、スティーナは自分が人形でなければ、飲むのに付き合えるのに、と考えた。それをアルトゥールが望んでいるかどうか分からなかったが。酒の肴をテーブルに並べた後、スティーナはアルトゥールに話し掛けた。スティーナはアルトゥールがヴィスリンを助けに行った事を知っていた。服にも手にも血を付けて帰って来たので、隠しようが無かった。そしてヴィスリンを救えたのを喜ぶ反面、隣国の連中の命を奪ったのを後悔しているのを、スティーナはアルトゥールの態度から分かっていた。「あの、アルトゥール様」「……どうした」「ヴィスリン様を救われた事は、後悔なさる事では無いと思います」それは思いやりからの言葉だと分かっていたが、アルトゥールは自嘲めいた笑みを口元に浮かべた。「隣国の連中は、この国の者への殺戮に何の躊躇いも無い。俺はそれを軽蔑してきた。だが俺が今日した事も、あいつらのしている事と、変わりなどしない」しばらくスティーナは悲しそうに考え込んでいたが、一所懸命言葉を選んで話し始めた。何時も生気の無いスティーナだが、この時は声に優しい熱を帯びていた。「隣国の者達は、侵略し支配する為にそうしています。ですがアルトゥール様は、大切な者を守る為にそうなさいました。私はそう信じています」そうだろうか、とアルトゥールは納得出来なかった。圧力と解放の差はあるとしても、隣国の連中も大切な者の為に戦っているつもりのはずだ。自分のした事が許される事だとは、アルトゥールには思えなかった。
「……それから、遅くなり申し訳無いのですけれど」「何をだ?」「有り難うございます、私を作って下さって。私が存在する罪は、それを喜ぶ私が引き受けます。アルトゥール様に罪はありません」心の底からスティーナはそう思っていた。少なくとも自分が存在する事で、身寄りをなくした祖父は幸せな晩年を過ごせたはずだ。正確には人形のスティーナの祖父では無いが、スティーナは祖父の事がとても好きだった。だからアルトゥールに感謝していた。礼を言われてアルトゥールは面食らった。昔なじみの孤独な人形職人の頼みを聞いてやりたかった気持ちは、確かにあった。だが自分の呪術がどこまで通用するか、試してみたかったのも事実だ。優しさだけで、アルトゥールはスティーナを作った訳では無い。
そんな事はスティーナは、実は分かっていた。分かっていて、それでもアルトゥールに好意を抱き、感謝しているのだ。呪術を試してみたかっただけなら、用が済めば邪魔な自分など破棄すれば良いのに、アルトゥールはそうしなかった。こうして側に置いてくれている。「出過ぎた事を色々と申し上げました。お許し下さい」お辞儀してスティーナは下がろうとしたが、アルトゥールはそれを引き止めた。「……しばらく此処に居てくれないか」「私はお酒のお相手も出来ませんが」「かまわない。居てくれるだけで良い」「はい、アルトゥール様」穏やかに笑うと、スティーナは長椅子に座るアルトゥールの隣に座った。弱くて悲しき生き物達。彼等に夜は冷たくは無かったが、それでも朝を待ち望んでいた。自分にも、自分以外の者にも。
居間でアルトゥールは今日届いた手紙を読んでいた。そこへスティーナがお茶を運んで来た。相変わらずしなくていいと言っても、スティーナはこうして家事をしていた。それも必要最低限以上の事を。「どうぞ、アルトゥール様」テーブルにポットとカップを並べ終えると、軽くお辞儀をした。下がろうとしているスティーナをアルトゥールは引き止めた。「君も座ると良い」そう言いながらアルトゥールは持っていた手紙を差し出した。座って読めと言う事なのだが、スティーナは受け取ろうとしなかった。人形の身体は疲れる事を感じず、滅多に座らない。差し出されたとは言え、人の手紙を読んで良いのか分からない。戸惑っているスティーナに、アルトゥールは好意的な笑みを浮かべた。「遠慮しなくて良い。封筒の宛名は俺だが中身は俺と君宛だ」「私にも、ですか」それでは失礼致しますと言ってから、ようやくスティーナは椅子に座った。そして手紙を受け取ると、それはヴィスリンからだった。当然の事ではあった、他にスティーナの存在を知る者は居ないのだから。手紙には簡単な近況や、近いうちに休暇が出るので村に戻る事が書かれていた。「お戻りになられるのなら、こちらにいらっしゃるでしょうか」「書いては無いが、来るなと言っても来るだろう。楽しみか?」「はい。ヴィスリン様はお優しい方ですから」口にはしなかったが自惚れても良いのなら、ルティアナの挨拶をしたヴィスリンは唯一の友人だ。祖父の家で暮らしていた時も、スティーナに友人は居なかった。孫娘が亡くなった事は周囲に知られていた為、誰にも存在を気付かれないよう細心の注意を払っていた。
誰にも知られず暮らしているのは今も変わらない。そしてスティーナにとってアルトゥールは、主人であり友人では無かった。自分は小間使いで、それがこの家で暮らす意味だと考えていた。家事をしなくていいと言われても、スティーナには特にする事が無い。それに自分を作ってくれた感謝も込めて、毎日あれこれと家事をしていた。それで自分の寿命を縮める事になろうとも構わなかった。「昇進なされるのですね」手紙には現在の大隊長から将軍補佐への昇進の話がある、と書いてあった。だがアルトゥールはどうだろうなと答えた。現在の大隊長の地位に就く時にも、随分な反対意見があったと聞いていた。しかしヴィスリンの功績は充分大きく、反対意見の者達もそれは認めざるをえなかったのだ。自分の産まれた階級が自尊心を支えている。そんな奴は平民階級産まれの者が、異例の早さで昇進するのは面白く無い。自分より歳下に見える者が自分と同格、もしくはより昇進すれば、更に面白く無い。だから、とアルテゥールは言葉を続けた。「あいつは大抵の上の連中に嫌われてる。もちろん国王は、どれだけ反対意見が出ようが昇進させれる。だがあまり昇進させても敵を作るだけだからな……いや、これ以上はもう敵を作れないか」「そんなにも、嫌われていらっしゃるのですか」感情の変化をほとんど見せないスティーナだが、驚いたような口調だった。会った時間は短いが、人に嫌われるような性格には思えない。階級が高いしかも軍の人間関係の事を知らないので、不思議でたまらなかったのだ。
「頭の固い連中にだけな、部下からは随分と好かれてる。まああいつの場合は、本人に昇進願望がたいして無いんだが」「そうなのですか?」「西の国との隣接地域を守れれば、それで良いのさ。あいつは……」そこまで言いかけてアルトゥールは止めた。スティーナが困ったような表情になっていたからだ。面白く無い嫌な話を聞かせてしまっただろうか、と少し不安が沸いた。「どうした?」「あの……私はそこまで立ち入った事を、伺って構わないのでしょうか」その質問にアルトゥールは思わず笑みをこぼして説明した。ヴィスリン本人が隠していない事を、友人のスティーナに話しても少しも構わないと。そして軍人の志望動機についても。友人と言われてスティーナは僅かに、照れくさそうな嬉しそうな表情を浮かべた。ヴィスリンがスティーナを友人だと呼んだ事がある訳では無い。だがそう思っていないのなら、今回の手紙を自分宛だけにしたはずだ。だからアルトゥールは当然の事として、自分達二人共がヴィスリンの友人だと考えていた。「今でも奥様を愛していらっしゃるのですね」「大恋愛だったし、今でもあいつは恋愛中だ」昔の仲睦まじい様子を思い出しながら、アルトゥールはそう答えた。自分でポットから二杯目のお茶を注ごうとして、ふと手が止まった。つい先程までとは打って変わって、スティーナが沈んだ表情をしていたからだ。
「どうした?スティーナ」「アルトゥール様は……ご結婚なさった事がおありなのですか」無い、と簡潔に答えられると、スティーナの表情は更に沈んだ。その表情の変化を見て、アルトゥールは訳が分からないでいた。自分に結婚の経験が無い事が、スティーナにどう関係すると言うのだろうか。本当にずっと独身で居るが、それを不満に思った事は一度も無い。「どうしてそんな顔をする?」「……私がこの家に居る事が、ご結婚の妨げなのではありませんか」スティーナの中には自分を優先させる発想が無い。以前アルトゥールは、死にたいと思っていないのなら生きれば良い、と言った。そう言ってくれたのだ、人形でも生きていて良いのだと。それをとても嬉しく思っていた。だが自分の存在が妨げになるのなら、破棄されて構わないとも思っていた。「そんな事は無いさ」「不便な村外れで暮らしていらっしゃるのも、私のせいです」アルトゥールは立ち上がると、スティーナの座る椅子の手すりに座った。そしてうつむいているスティーナの顔を覗き込んだ。そうされると増々スティーナは深くうつむいてしまった。生きる事に前向きになったと思ったのだがな、とアルトゥールは心の中で小さく溜め息をついた。スティーナを引き取ったのも、その為に村外れに越した事も、全て自分で決めた事だ。生活を乱されて困ると思わなかったし、事実そうなっていない。
「そんなに俺を結婚させたいか?」「私はアルトゥール様の邪魔になりたくないのです」「なっていないさ」「ですが……」更に言葉を続けようとするスティーナの口を、アルトゥールは手で軽く塞いだ。驚いて口を塞がれたまま、スティーナは顔を上げてアルトゥールへ向けた。視線の先には優しさに溢れた視線があった。「それならスティーナ、君が俺の妻になってくれるか」その言葉にスティーナは目を見開いた。冗談にしては表情も口調も真面目過ぎる。だが真面目な話にしては非現実的過ぎる。自分は人間では無いのに、感情はあっても人形なのに。「嫌ならそう言ってくれ、今聞いた記憶を呪術で消す。その方が暮らし易いだろう?」「私は小間使いの自動人形です」そう言うスティーナの口調は震えていた。どうして震えているのかは本人にすら、はっきりとは分かっていなかった。だが少なくとも求婚に対する嫌悪では無いと、アルトゥールは漠然と感じていた。もちろんスティーナは嫌悪など感じていなかった。もっと別の事を感じていた。「俺は君を小間使いだと思った事は無いし、そうだとしても関係無い」「それでも人形です。子供を産む事も出来ません」「俺は子供が欲しいと言ってるんじゃない。スティーナと結婚がしたいと言ってるんだ」「私は……」それ以上は言葉が続かなかった。その代わりにまだ軽く口を塞いでいるアルトゥールの手に、幾つもの水滴が落ちた。それは確かに温かかった。有り得ないと言えばそうだろうが、そもそもスティーナの存在自体が有り得ない事だ。だがこうして生きている。ゆっくりとアルトゥールは手を離した。「返事を聞かせてくれないか」「……妻になります……アルトゥール様、喜んで……」「有り難う、嬉しいよ」まだ涙をこぼしているスティーナを、アルトゥールはそっと抱きしめた。誰にも祝福される事は無く、知られる事さえも無く。唯一人ヴィスリンを除いては。それでも二人は心からそうしたかったのだ。天宝五夜神カプセル
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