与えられた使命を果たすために、全力を尽くさねばならないこと。この1年は、提示されたプログラムをこなす努力をして、その先に続く人生をあやまたずに生きていくための最終確認をする大事な時期であるということ。そういうことは、全部。
16の春に、修了課程に入った段階で、すべて知らされていたはずで。それに対して異を唱えようと想うことはもちろん、納得できなかったわけでもないのに。 いざ、決定への最初の判定を目の前にしたとたん、自分は。決まっていたはずのことに、うろたえずにはいられなかった。さきほど、教室で渡された一枚の紙には、1年後の――ほぼ確定された自分の就業先と、性別が記されている。そう。性別。ほかの種族がどうかは知らないが、我が種族は、18の春に性別が確定するのだ。つまり、それまでの17年の間は無性別――中性というわけで。そういうこともあって、18の朝に成人するまでは、性別を示唆するような「私」「あたし」「僕」「俺」などといった、一人称で自分を表すことも禁じられている。自分のことを限定することは、可能性を狭めることだと何代もまえの長が決め、それが今に続いているらしいが、詳しいことはよくわからない。歴代の長になるものだけが、歴々と続くその意図を引き継ぐとされている。我ら庶民に対して、個別限定禁止令のはっきりとした意図は公開されないし、死ぬまで公開されることはない。福源春
我らの種族は、いくつかある妖精族の中でも、もっとも存在が稀とされている。 それを証拠に、毎年、何千という個体が生まれるが、実際に個体として1年間生き延びることができるのはわずか十数程度。我らは生まれたばかりのころが一番弱い。肌がもろく、ちょっとした傷から死に至ることも少なくない。ゆえに、男女のプログラムもきっちり組まれることになったと言われている。17の春。性別が決まる重要な1年を前にすると、それまでの段階で訓練してきたことの最終確認に入ると同時に、その者がもっとも適していると思われる就業先を、長老会がいくつかピックアップしてきてくれる。就業先は、1年を通して多少の補正はあるものの、残り半年を切った頃になると、一つにしぼりこまれてくる。訓練状況を見ている「命の糸」という組織が、性別のほうをほぼ確定してくるためだ。長老会と、組織「命の糸」は綿密に会議を重ね、本人の意思とは関係無しに、最終決定を18の春に本人に告げる。ふたつの組織の決定は絶対で、例え本人であろうともそこに反論の余地が与えられることはないと聞いている。
そして、今まではそれに対して間違いが起こったこともなかった。だから、みな安心してこの組織の発言に従い、生活している。というか、生まれたときから。 最初の1年間を生き延びることができた、その瞬間から。それにしたがうことはあまりにも当たりまえのことだったから。まわりにいる同じ年頃の妖精はみな平等で、仲間だ。もちろん、そうはいっても気の合う合わないは出てきてしまうから、ある程度親しくする仲間とそうでない仲間がでてきてしまうことはある。まあ、気の合わないものは仕方ないとして、問題は前者の場合になるわけだが。そういう場合でも――特定の一個体とだけ関係を深めることには繋がらないように、本人たちには気づかぬように長老会がうまくコントロールしているのか、18の春を迎える前に、個体同士が問題を起こすようなことはないのだ。自分も、そんな事件など今までに聞いたこともなかった。
…17の春。自分は、将来に対する得体の知れない不安を抱えて、ひとり。配られた紙を、ただじっと凝視していた。「自分が…雄体…」そう。目の前の紙には、雄体――すなわち、男である――と。1年後の自分の性別がそう、はっきりと印字されていた。自分はそれを――そのとき同じように告知を受けた者たちと同様に――それまでの16年間、比較的親しくしてきた妖精仲間のうちの三人に打ち明けた。一人目は、ハル。ガラス玉のように透明な瞳を持つ、繊細な妖精だ。ハルのまわりは、いつもやさしく、あたたかい。肩まで伸ばした髪を、軽やかにさらさらと風になびかせている。「へえ。ルネも男か」「ああ。そうみたいだ」「リンの告知は、もう聞いた?」「いいや」「そう。…リン」「呼んだ?」名前を呼ばれたリンが、転がるような声と共にハルのほうをふりかえる。
リンは、足首まで伸びた長い髪をファサリと背中に押しやると、上品な笑みを浮かべてこちらを見た。「あら、ルネ。ルネはどうだったの」「ああ。雄体だって。リンは?」「雌体だったけれど」「そうか。…まあ、リンならそうかもしれないな」
「なぜ?」「雌体の成体を見ていると、リンのような者が多いように見えたから」 思い起こせば、ここ1・2年の間に、傍目にもリンの身体は雌体へと近づいているのは明らかだった。自分のことは意識していないから分からないが、ここ1年の間にハルの身体つきが、がっちりした外向きになっていくのに対し、リンの手足は細くその身はほっそりしつつあった。それに、もともとリンは食事のしたくや洗いもの、編み物などを好む内向的な性格でもあった。美人豹
(やはり、長老会の出す告知は正しいのだろうな)おそらくは、来年の春にこのままリンが雌体になっても、誰も何の疑問も抱かないだろう。「そんなもの? ああ、でも」「うん?」「もしこのまま、特に変更もなく、自分が雌体でルネが雄体になったら。もしかしたら、自分たちが1年後に家族になるかもしれないのかもしれないと。そう思っただけ」「そうだね」本当にそうなったら、リンと一生、一緒にいることになるのか。(リンと…か)ずっと仲良くしてきたリンとなら、見知らぬ妖精と家族になることを告げられるよりはずっといいだろう。思ったことをそのまま告げると、リンも納得するかのように、ニッコリ笑って頷いてくれる。
(本当にそうなったら、どんなに気楽だろうか)そう、このときまだ、自分は。ハルとリンの告知を聞いた段階では、それぐらいしか考えていなかった。家族を作ることの意味とその重さを。はっきり実感できていなかったのだと思う。それに、どうせ今すぐに実感できていなかったとしても、そのうち何とかなるとも思っていたし。(…気持ちなんてものは、後付でどうにかなるのではないだろうか) なにより、長老会と命の糸が決めることに、間違いなどあるはずもない。そう信じて疑わなかったから。「ああ、ルネ」不意に名前を呼ばれて、驚いて振り返る。そこには、三人目の仲間がいた。そう――シオンが。やさしい、やさしいシオン。青い目のシオン。
困ったときに必ず自分のそばにいて、助けてくれたシオン。ハルやリンと心を通わせるよりもずっと前から、常に隣にいてくれたシオン。自分にとってのシオンは、まるで一緒に生まれたかのような――そんな不思議な絆を思わせる仲間だった。シオンの青い瞳は、いつだって自分を支えてくれていた。そんなシオンの告知結果が気になっていたということを、こちらにやってくるシオンを見た瞬間になって、自分はようやく気がついた。「シオン」「ルネ。告知結果はどうだった」 「ああ。就業先は、種の運搬。個体判定は、雄体だったよ」リンやハルに告げたときと同様の感覚で、自分はシオンにそう告げた。それに対してのシオンの態度も、前者二人と同じものであるはずだった。けれど。なぜ、そう感じたのかは分からないが。このときのシオンの瞳孔が、自分には一瞬大きく開いたように見えた。
「そうか」声に震えはない。だから気づかなかったし、不思議とすら思わなかった。シオンの感情に、揺れがあったことを。「シオンは?」「就業先は、花びらの回収と季節の鐘鳴らしだ。…個体判定は、ルネと同じ。雄体だ」「シオンも雄体か」「そう。雄体」「就業予定先が異なると、今までのように会えなくなるのかな」「多分ね」「…そうか。それは寂しいな」思ったことを、そのまま口にしたつもりだった。今までは、朝目覚めてそのままこの訓練教室に来れば、三人に会えたから。18の春以降。雌体になった者は、家族となった雄体以外に会うことは少なくなる。会ってはいけない規則などはないから、会うこと自体は自由だ。けれど、やがてはその時間も自然と減っていく。だが、それを減らすのは、長老会でも命の糸でもない。当人たちなのだ。突然はじまる慣れない家族生活にとまどいを感じるのは当然だから、最初のうちは16年共に過ごした仲間に相談を持ちかけたり、一緒の時間を過ごしたりする者もいる。だが、やがては長老会が決めた伴侶の良さに気づき、納得し、受け入れ、個々の家族を大事にするようになる。伴侶となった雄体を思い、気づかう気持ちが増す。その者のことだけを思う時間が増える。別の世界では、これを「恋」と呼ぶらしい。もっとも、婚後に恋をするような種族は、とても稀らしいのだが。蒼蝿水
まあ、状態はさておき、そうなると自然と仕事以外では昔の仲間と会う機会が減るらしいのだ。自分がまだ家族をもったことがないため、18の春以降のことは噂などで見聞きした範囲でしか把握できないことは歯がゆいが、こればかりは仕方のないことだと諦めるほかない。(そもそも、自分は雌体向きではないらしいし…)雄体は、外に出て身体を使う仕事が今まで以上に多くなる。そのかわり、今までやってきた料理や洗いものといった身の回りの管理を、ほとんどしなくて済むようになるのだ。そういうことは、伴侶となった雌体がとりもってくれることになっているからだ。雄体個別に与えられている使命は、ただ一つ。伴侶となった雌体を生涯守り通し、新しい家族を作るように努めることだ。守るといっても、具体的に今までとどう違うのかわからないけれど、それも実際に18を迎えればわかるだろうと思い、このときまだ自分は、1年後のことを深く考えようとは思わなかった。
「ルネ」「なに」「ルネの今言った“寂しい”というのは、どういう意味?」唐突に、思ってもみなかった問いを投げかけられて、面食らった自分は思わずシオンを見返したけれど。その表情から、シオンの考えていることは読み取れなかった。 だから、自分はそのとき浮かんだ言葉をそのまま告げることしかできなかった。「言葉のままだよ。もしかしたら…16年ずっと一緒だったシオンやリン、それにハルと、この先も今までと同じように、一緒に訓練をするように生活していけないことが、寂しいと思ったのかもしれないな」「それは、そうだね」そう言って、シオンも微笑んで頷いてくれたから。だから。このとき、自分は――このまま何事もなく1年がすぎて、18の春を迎えるのだと思っていた。(そう。それが自然だ)…すべてがまだ自分のそばにあり、その幸福さに気づいていない。それは、この先――あんな痛い思いをするとは思っていなかった、17の春のことだった。
――夏のはじまり。虫たちの演奏に誘われて、妖精たちはホタルのひかりにまぎれてダンスを踊る。春先に作っておいた果物酒を持ち寄り、月明かりのしたで、気の置けない仲間を見つけては朝方まで陽気に語り明かす。そういう空気がとりわけ好きだったハルに誘われて、その夜も自分は賑やかな木々の下に飛び出したのだ。そうして、出先ですでにほろ酔いになっているリンと出会って。話したい仲間がいると言うハルとは、あとで落ち合うことにして、自分とリンは、逆にそういう空気を苦手としていたシオンを探して、ホタルのひかりの中を飛んで回った。家の中に閉じこもっていることも考えられたから、そちらを先に訪ねようかと思った。けれど、徘徊している最中にシオンを見かけたという妖精に出会ったから、そのまま木々の合間をぬって飛び続けていたのだけれど。
「ごめん。ちょっと酔いが回って目も回る」いきなりフラフラと降下しながら、リンがリタイア宣言したから。草の葉の柔らかいところを見繕って、リンを休ませることにしたのだけれど。「ルネ。自分はここにいるから。シオンを探してきて欲しい」シオンを含めて三人で、語り合いたいから。あえぎながらも、リンが強くそう言い張るから。「どうしても気分が悪いままだったら、帰ることも考えてくれ」そう言い残して、自分はまた少し飛び続けたのだけれど。ホタルのひかりが弱まりはじめた、深い森との境界で。シオンの姿を見つけた自分は、思わず羽ばたくことを忘れそうになってしまった。
「…あ、」墜落する。そう自覚するのが、もう少し遅かったら、そのまま堅い葉の上に身体を叩きつけていたかもしれない。視線の先に見つけたものが、シオンただ一人だったなら。自分は、そのまま普段のように。「やあ。シオン。あっちで話そうよ」そんなふうに、声をかけたかもしれない。それができなかったのは、シオン以外の――もう一人の。見知らぬ妖精の姿が、目に飛び込んできたからだ。 シオンの傍らにいたのは、明らかに成体――しかも雌体だった。成体で、しかも雌体であった時点で一番最初に浮かぶのは、当然シオンの母親にあたる妖精の存在だったのだけれど、そのときにシオンに寄り添っていた雌体の姿は以前に何度か見かけた彼女とは全然違っていた。…彼女よりも、もっと若い。暗いなか、識別できたのはそれぐらいだったのだけれど。シオンが、同年の妖精でもなければ、母親でもない妖精と一緒にいる姿など想像したことなどなかったから、そのとき自分はひどくうろたえてしまったのだと思う。なんの前触れもなく。SEX DROPS
突然に、それまで感じたことのないような、吐き気に襲われる。思わずそばにあった枝にしがみつくと、額を押さえて息を吐く。唇から漏れる息が、不自然に震えている。まるで、自分の中から何かをこぼしてしまうことを恐れるように、うまく呼吸ができない。目の前が、かすむ。まるで全身が心臓になってしまったかのように、一拍脈打つごとに、全身がきしんで揺れているかのような錯覚に陥る。果物酒を飲んだわけでもないのに、まるで飲みすぎて酔ったときのようだ。胸が苦しくて、泣き出したい――そんな感覚。
(混乱している…?)シオンが教室で、自分達以外の妖精と話す姿など見たことはなかった。だからだろう。今、目の前にある現実に驚いてしまっているのは。そう、思おうとした。成体した雌体が、伴侶以外の妖精と親しげにすることなど、有り得ないと思っていた。だから、相手の妖精の存在に度胆を抜かれたのだと思った。もし、そうでないならば。そうでなければ、今自分が受けているショックの意味がわからない。(シオン。キミはなぜ、我ら三人以外に仲良くしている妖精がいることを、教えてくれなかったのだ)そう思ってしまった自分に驚いて、思わず首を横に振る。教える義務などないし、話す必要がないと。シオンがそう判断したのなら、それは仕方のないことだ。
(そう…。自分はシオンではないのだから、シオンの考え方に文句をつける権利も筋合いもないはずだ)そこまで考えて、自分は息をのんだ。シオンの家族はどう思っているのだろうか。シオンがこうして、よその――伴侶を持つ成体と話していることを知っているのだろうか。そして、それは相手の成体側の妖精に対しても言えることではないだろうか。家族、という単語が浮かんだ瞬間、それは自分の胸を抉るように貫く。そう遠くない未来に、シオンは運命の春を迎える。
(そう…家族を作るんだ…)そのときになっても、シオンのそばにいるあの成体は、今と同じようにシオンと付き合いを続けるのだろうか。今宵と同じように、シオンと会ったりするのだろうか。そしてそうすることを、シオンの伴侶は許すのだろうか。(…よそう。自分が考えても仕方のないことだ)どう考えたところで、自分はシオンではないのだから。それに、自分がシオンの将来の伴侶の心配までしてどうするというのだ。そこまで思って、はたと気がついた。
(自分は、シオンの将来の伴侶の心配までしていたというのか。…まったく、なんと馬鹿らしい)目の前の二人が、たとえば今までに見聞きしたことのないような、種類の感情によって結びついていたとしても、それが来年まで続いているとは限らない。今宵限りの、ただの語り合いの可能性だってある。(人見知りの激しいシオンだから、そうは見えないし思えないが。…このさい、それはひとまず置いておくとして。…今からシオンの伴侶の心配など、してどうなるというのか。自分がシオンの伴侶になる可能性があるというのなら、そういう心配をする理由もあるのだろうが――)自分の個体判定が二度目も雄体であったことを思い出し、自然と唇から自嘲の笑みが零れてしまう。そう、二度目の個体判定の結果、自分はまたしても雄体判定だった。そして、自分以外の三人の個体判定の結果もまた、前回同様の結果だったと聞いている。
個体判定は、あと1度。2月の最終決議を入れれば、あと二回行われる決まりになっている。けれど、前半の2度の判定は確定したものと同じで、その後も判定がひっくり返ることは稀だと聞いているから、このまま何の問題もなければ、自分は来年の春には雄体として伴侶を迎えることになるはずだ。そう。このままだと、来年の春に自分は雄体になる。それはシオンも同じことだ。そして自分は、そのことに対して、これまで何も感じなかった。どちらになろうが、仲間は仲間。 そう思っていたからだ。時が流れて、もしも会う機会が減ったとしても。それは、自分たち以外の何者かにムリヤリそうさせられるわけではなく、自然とそうなると聞いていた。だから、そのことに対して不安や逆らうような気持ちを持つようなことなどなかった。離れていくことに、苦痛を感じるわけではないと信じていたからだ。(けど、今は違う。そうは思えない…)…嫌だ。このまま、シオンと離れるのは嫌だ。胸に最初に広がったのは、そういう思いだった。そして、その理由を求めて、すぐに一つの答えに行き当たった。
今のままシオンと離れてしまったら、自分はまず間違いなく苦しい思いをする(それだけは、確実だ…)だって、来年の春を思うだけで。雄体同士になってしまい、いつしか疎遠になることを想像しただけで。自分は、満足に息をすることもできなくなる…。このまま自分はおかしくなってしまうのだろうか。来年の春に、成体になる前に壊れてしまうのだろうか。嫌だ、そんなことになるのは絶対に嫌だ。(そうだ、それならば。この気持ちを、消してしまえばいい)けれど、目の前にシオンの顔や、シオンがそれまでにくれた優しさがちらついて、それもできない。それが将来のシオンの伴侶のものになることを想像するだけで、動悸が激しさを増す。でも、だからといってどうするというのか。どうにもできないではないか。そもそも、自分とシオンは、近い将来に同じ雄体になる者同士。それでは、どうすることもできない。そこまで考えて、思わず息をのむ。自分の望みを知って、強い絶望感に襲われる。SPANISCHE FLIEGE
…そうか。そうだったのだ。自分は――否、“わたし”は。雌体になることを望んでいるんだ…。今目の前にいる、シオンのすぐそばにいるあの成体のように、なりたいと。そう、思ってしまっているんだ…。それに気づいた瞬間、気が遠のきそうになる。自分の置かれた立場に、何一つ変化はないはずだった。そしてそれは、明日から18の朝に向かって続く毎日に対しても同じことが言えるはずだった。…そう。変わってしまったのは、わたしだけ…。
あの日、シオンへの気持ちが分かってしまってから。わたしの、仲間に対する考えかたはガラリと変わってしまった。まず、自分のことを“自分”や“我ら”と表すことをやめた。もちろん、そうすることは罪だったから表立っては言わなかったけれど、心の中ではいつも自分のことを“わたし”と言うようになった。ハルと狩りに出かけることもしなくなった。本音を言えば、狩りに出たくてうずく気持ちもあったけれど、18の春を思って我慢した。狩りは雄体の象徴でもあったからだ。料理は苦手で、今まではあまりそういう場所には顔を出さなかったけれど、就業予定先への顔出しをしなければいけないとき以外は、極力顔を出すようにした。編み物もリンに教わりはじめたので、今では少しずつだけれど形になってきている。
突然変わろうとし始めたわたしに、最初はハルもリンも戸惑ったようだったけれど、それも18の春を迎えるまでに起こる変化の一つだと思ったのか、やがては受け入れてくれるようになっていった。ただ、わたしがどれだけ変わろうとしていても、シオンの態度だけは、それまでと何も変わらなかった。いや、少しだけ変わったかと思える出来事もあった。…あれは確か、わたしを狩りに誘おうとしたシオンを、ハルが引き止めたときのことだ。「シオン。ルネはもう、狩りには行かないって」「そうなのか」驚いたシオンに、わたしは。半分は断ることに対しての、残念な気持ちから。もう半分は、シオンに嫌われるんじゃないかという不安から。思わず『そんなことないよ』って言いたくなったのだけれど。18の春のことを思って、グッと我慢したんだ。
「…うん、そう。せっかく誘ってくれたのに、ごめん」「そうか、わかった。なら花の蜜を取ってくるから、せめてそれは受け取ってくれるよね」「喜んで」申し出が嬉しくて、そう答えたときに見た――シオンの表情は。あまりにも、寂しそうに見えたから。あのときのあれは。シオンがハルに窘められて、それでもわたしとの仲が気まずくならないように、なんとかひねり出した問答だと信じて疑わなかった。3度目の判定のときに少しでも雄体に近づかぬように、細心の注意を払うように努力をするようになった。…もっとも、こんな努力をしたところで、雌体になれる可能性はほとんど皆無であることはわかっていたし覚悟もしていた。(それに、もし万が一雌体になれる判定が出たとしても、シオンの伴侶になれるとは限らないんだし…)雌体になれたとしても、シオンの伴侶になれない。たった一つ、怖いと思ったのはそれだけだった。
…そして、迎えた冬。雪の日に。凍る葉の上で、わたしは静かに三度目の告知紙を開いた。震える手で、たたまれた紙を開く。(どうか、お願い…!)これほどまでに、強く願ったことはないと思えるぐらいに。わたしは、切なる思いをこめて、紙をめくったのだけれど。…けれど。そこには、たった二文字。「雄体」…と、いう。あまりにも、無情な判決が記されていたのだった。
もう、どうしたらいいのかわからない。やれることは、ぜんぶやったの。努力したし、願うだけ願った。気持ちだって、揺らぐことなかったのに。明日には、シオンと離れるのね。シオンがほかのひとのものになる日がくるなんて。そんなの受け入れられないよ。わたし、雄体になんてなれない。雄体になって、伴侶を迎えて、その人だけを生涯守り通すなんてできっこない。わたしは、シオンと生きたいの。それができないのなら、もう死んでしまいたい。シオンと離れるなんて、イヤ…。
銀世界だった野原とは正反対に真っ黒な気持ちを抱えたまま、わたしは長老会の開く最終口頭決議所に向かって歩いていた。ここで下される発言は、即決定事項となる。そして、決定を言い渡された妖精は――実際に生活を共にするのは18を迎えてからになるとはいえ――伴侶と共にその日から春に向かって新しい家作りをするしきたりになっている。でも、今のわたしにはその家作りをすることにすら、耐えられそうもない。(シオン以外の伴侶とすごす家なんて、いらない…っ)わたしが、欲しいのはシオンと続く未来。シオンのやさしさ。あの微笑みをずっと、死ぬまで受け続けることのできる権利。17の春に、はじめて告知書を見せあったことが、今では懐かしい。…あのときはまだ、こんな気持ちで最終口頭決議所に向かうことになるとは思わなかったの。生まれて、物心ついてすぐに訓練所に通うようになって。K-Y
気がつけば隣にいてくれたシオン。その存在は、あまりにも自然で、当たり前すぎたから。おろかなわたしは、今までシオンが向けてくれていたやさしさを、もらえて当たり前の物だと思っていたの。(馬鹿だ…。本当に)わたしには、シオンが必要なんだ。そのことにもっと早く気づけていたら、告知書を受け取る何年も前から雌体になれるような努力をすることだってできたのに。もう、ぜんぶが遅い。これ以上、できることなんて何もない。明日からは別々になる。 そしていつか、それすら当たり前になる日が来る。「…そんなの、無理」呟いた途端、それまで我慢に我慢を重ねていた涙が、ボロッと零れ落ちた。
「できない。シオンがいいよぉ…っ」一度こぼれてしまった涙を止めるすべを、わたしは知らなかった。こんなに苦しい思いをしたこと、今までなかったから。決議所に行かなきゃいけないと、頭では分かっている。刻限が迫ってきている。さっさと行って口頭決議を受けなければ、それはそれで罪として罰せられることになっているのに、もうこれ以上は歩くことすらできなかった。だから、近くの葉陰によろめきながら駆け込むと、そこでわたしは思い切り泣いた。生まれて初めて、苦しさから解放されたくて泣きわめいた。「シオンっ…、シオンが好きだよぉ…っ、ひぃっく、…シオンに、愛されたいよっ…う、ええええんっ…!」本当は、妖精は泣いてはいけないことになっている。いつでも、楽しく陽気に笑って、周りに幸せを運ぶ存在でなければいけないと、そう決まっている。そうできないのならば、大気となって消えるべしとされているほどに、妖精が泣くことは大罪なのだ。けれど、もう。わたしは、我慢なんてできなかった。シオンと共に生きられないのなら、消えてしまったほうがマシだと思った。だから、声がかれるほどに泣き喚いた。…泣いて泣いて、そして気がついた。…自分の身体が半分、透けていることに。
(ああ…わたし、消えるんだ…)でも、不思議と怖くはなかった。シオンと一緒にいられなくなることを思って胸が潰れそうな思いをしたあのときの苦しさから考えてみたら、消えることぐらい、なんてことないやって思えた。本当に、こころの底からそう思ったんだけど。「ルネ!」不意に自分の耳に飛び込んできた、その声に。わたしはビックリして、思わず泣くことを忘れてしまった。声の主を探そうともせず、葉陰から顔を出すことも忘れて、わたしは放心状態に陥っていた。わたしを、呼んだのは。他の誰でもない。シオン、そのひと――だったから。「ルネっ」「し…シオ…」「お願いだから泣かないでくれ。今すぐ泣くのをやめてくれ」葉の向こうに一瞬移ったシオンの青い瞳を、わたしは正確に確認することができなかった。そうするよりも前に、シオンの腕の中に包まれてしまっていたから。「消えられたら困るんだ」「うっ…ひぃ…っく…」けれど、わたしは。
自分がシオンの腕に抱かれているという現状とそれまで感じていた苦しさに翻弄されてしまって、すぐに泣き止むことができない。「こうなる前、もっと早くに。…ルネ本人に言うべきだった。それがたとえば、18の春になるまでに口にしてはいけないものだったとしても」「し、シオン…?」空気に溶けかけたわたしの身体をいたわるような目で見ると、シオンはハッキリとした口調でこう言う。「自分は――いや、ぼくは。ルネのことが好きだ」「…え、シオン。いま、自分のこと」ぼくって。性別判定をもらうまでは、自分の性別を決めるような一人称は使ってはいけないのに。そう、わたしが言おうとすると。そんなわたしの言葉を遮るように、シオンはわたしの唇にキスをする。「んっ…! …っ、はあ。シオンっ…!?」「いきなりごめん。でも、ルネが助かる方法は、もうこれしかなかったから」「どういうこと?」「さっき見かけた時点で、すでにもう。…ルネの身体の半分は、神様のところに行ってたから」「ああ…身体、透けてたこと?」「そう。そんなルネをこちらに引き戻すには、ルネの愛する者が口づけを送るしかないんだって」でも、ルネがぼくがルネを思うのと同じようにぼくのことを好きじゃなかったら、申し訳ないから。消えそうになるルネを見ても、まだ迷ったんだけど。
「ルネ、ぼくの名前を呼んでくれただろう? シオンが好きってさけんでくれただろう?」「え、うん」シオンの言葉に、思わず顔が熱くなる。そうだ。消えることよりも、違う伴侶を持つことを想像した瞬間、絶望にも似た恐怖を感じたわたしは、泣きながら思わず叫んでいた。「シオンが好き、愛してるって…わたし、そう叫んでた…」「本当は、雄体のぼくのほうが先に言うべきだったのに、それもごめん」自分が雄体判定を受けたら、わたしが口頭決議所に出向く前に、すぐに告白しにくるつもりだったと言って、シオンは目を細める。「遅くなったせいで、危うくルネを失うところだった」「シオン…それじゃあ」「愛している。ルネのことを、生涯の伴侶にしたい」ルネじゃなきゃ、嫌だ。そう言って、また抱きしめてくれるシオンのぬくもりを、さっきよりも確かに感じる。超級脂肪燃焼弾
「あ…身体が」「よかった、戻れたのかな」「でも、シオン。わたしたち――すごい罪を犯してしまったんだよね?」シオンはともかく、わたしはまだ個体判定を受けてないし。しかも、その判定だって、雄体になることがほぼ確定なのに。不安になったわたしがそう尋ねると、シオンはくつくつと笑ってわたしの髪を撫でる。「ルネ、自分の身体をごらんよ」「え…? ああっ!」中性だったときにはなかった確かな胸のふくらみ。身体のやわらかさ。触れていたシオンの腕と比べたら、確かに細い腕。ピンクに染まる肌。いつの間にか、そういったものが自分の身体に現れていたから。そして、それはまぎれもなく、雌体のあかしだったから。全身の力が抜けそうになる。「え、いつ…? なんで…!?」「ぼくがキスしたからだよ。そして、ルネがぼくを愛してくれていたからだよ」「で、でも…っ! わたしが雌体になったからって、シオンの伴侶になれるとは…っ」 そんなに都合よくまとまるとは思えないよ。そう言いかけたわたしの唇を再度うばうと、シオンはくすぐったそうに笑う。
「ルネ、知らないの? 妖精が恋をした時は、例外的に長老会や命の糸が決めたどの条件も吹き飛んでしまうんだってこと」「ええっ? そ、そうなの?」妖精は恋を運ぶものではあっても、恋をすることは稀だからね。そう言いながら、シオンは微笑む。「ルネがどう思ってくれているかの不安はあったけど、ぼくはもうずっと幼い頃から、どうすればルネと一緒に生きていくことができるか考えてたんだ。そして、17の夏に相談したんだ。どうすればルネと一緒にいられるのかなって」「なつ…? あっ、もしかしてそれって、ホタル火の夜のこと?」 あの夜。わたしがシオンへの気持ちに気がついたあの賑やかな夜。シオンは、見知らぬ雌体と仲睦まじげに語り合っていた。そのときのことを思い出して、わたしがそうたずねると、シオンはちょっぴり驚きながらも頷く。
「ルネ、見てたんだ」「う、うん。いつもみたいに四人で語り明かしたかったから、シオンのこと探してて。それで偶然、見ちゃって」そう、あのときの雌体のことは、あれからもずっと気になっていた。だから、思いきってわたしが、「あれは誰だったの?」と、尋ねると。シオンは、こっちが拍子抜けするほどあっけらかんと、こう答えたのだった。「姉だよ」「えっ、お姉さん?」「そう。…18の儀式に関しては、ぼくよりも先に伴侶を迎えていた彼女のほうがどうしたって詳しいからさ。…18を迎える前にどうしても聞いておきたいことが山ほどあったんだ」「そう…だったの」「うん。…さて、それじゃあ行こうか」「え、行くってどこに?」抱いたままだったわたしの身体をようやく解放すると、シオンはいつものように優しい笑顔でわたしを見つめる。そして、道の先を指差す。
「口頭決議所だよ。行って、ぼくとルネのことを報告しなきゃ」「ば、罰せられたりしないかな」「しない。それどころか、めいいっぱい祝福してもらえるよ」 わたしの不安をよそに、あまりにもシオンが明るく言うから。逆に固まったまま、その場で怖気づいていると。そんなわたしのそばに駆け寄ってきて、シオンは。ふわり。わたしのことを抱き上げると、また頬にキスを落とす。一度だけでなく、二度も、三度も。そのやわらかな口づけだけでも、わたしは気を失うほどの幸せを感じずにはいられないのに。シオンはさらに、わたしを幸せにする言葉をくれる。シオンがそばにいてくれること。それは、けっして当たり前のことではない。けれど、それを自然だとそう感じていたい。そして、わたしが隣にいることを、シオンにも同じように感じていて欲しい。この先もずっと。永遠に。「早く行って、幸せになりますって宣言しよう。それに、伴侶の調整もあるだろうから、急いで行かないとほかの妖精に迷惑かけちゃうよ」縮陰膏
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