2009年06月15日

encounter

夜のバスターミナルは、人で溢れかえっていた。色とりどりのキャリーバックを引きながら行き交う人を、並んだ列からぼんやりと眺める。もうあと数時間で日付が変わろうとするこの時間帯に、彼らはどこへ向かうのだろう。明らかに出張帰りという風情のビジネスマンらしき男性や、ショッピングバッグを両手にぶら下げた若い女性もいる。どこかのテーマパークで遊んできた様子の学生達は、輪になって談笑している。長距離の移動に備えてだろうか、売店で食べ物を買っている親子連れもいる。頭上を流れるアナウンスでは、有名な観光地に混じって聞いた事のない地名が飛び交っていた。私はといえば、帰省先から学校の寮へ戻るという、月に一度の日常を過ごしているにすぎない。それも、距離的には大した事はなかった。もともと、大学へはかろうじて電車で通える距離なのだが、運賃が高いのと移動の便を考えると、寮へ入ったほうが都合が良かったのだ。こうして月にたった一度、実家と寮を往復するだけでも少々面倒だと思ってしまう私にとって、寮という存在は非常にありがたいものだった。荷物は肩にかけたバッグのみという軽装は、どうもこの場に似つかわしくない。それでもここへ来る度に、何故だか自分までもが旅に出るような気分になってしまう。

23時ちょうど発の最終バスが停留所に到着すると、まだドアも開いていないのに、列が僅かに進みだした。私はカバンの中に手をやり、古びた革の小銭入れから、小さく折り畳まれた紙片を取り出す。狭いカード入れの中に無理に押し込んだものだから、端はよれて折れ曲がり、かすかに毛羽立っていた。5枚つづりになっているその一片を切り取り、残りは再び、学生証だとか運転免許証だとかの間に適当に差し込む。やがて、圧縮された空気が漏れるような音を出しながらドアが開き、列はその中へと飲み込まれていった。週明けというのに、下り線は随分と混んでいた。前から3番目の左側の席の窓際に座り、外の様子を眺めていると、次から次へとこのバスに人が乗り込んでくる。いつの間にか、空いていた隣の席も埋まっていた。急に、車体が小刻みに揺れだし、エンジンがかかる。扉が閉まったかと思えば、すぐに再び開き、駆けよってきた人が乗り込んで座席に着くのを確認した後、バスは発車した。しばらく一般道を走り、道路脇に唐突に現れたインターチェンジを通る。加速路に入ると、まるで滑走路を走る離陸直前の飛行機のように速度を上げ始めた。そのことに何故か胸騒ぎのようなものを感じ、いつもは絶対にしないのに、慌てて腰の辺りを探り、引っ張りだしたシートベルトを閉めた。滑るように本線に合流すると、バスはようやく軌道に乗る。昼間は常に渋滞している辺りだが、深夜は気持ちがよい程、空いていた。

車窓を流れていく夜のラブホテルはどこか神秘的だ。高速道路の脇に、思い出したようにポツリと現れるそれは、昼間に見ると随分と安っぽい。白い外壁は排気ガスで薄汚れ、ネオンの消えた看板が物悲しく、まるで場末の遊園地にあるお城のようだった。しかし、辺りが夕闇に包まれてライトアップされると、木立に囲まれたそこは、どこかの古城のような風格を漂わせはじめる。そう。夜の闇は、私が行った事も見た事もない、異次元の景色を見せてくれる。クネクネとした銀色のパイプが複雑に絡み合った何かの大きな工場は、まるで映画の中にでてくる遠い未来の宇宙ステーションのよう。道路を添うように流れている黒い川は、その静かな川面に何百という夜の灯りを映しだし、夜空を閉じ込めていた。このバスは、私をどこへ連れて行こうというのだろう。ふと、隣に座っていた人が、カバンの中をごそごそとやり、一冊の本を取り出した。さりげなく横目で盗み見るそれは、どこかの観光ガイドのようだった。地名までは読み取れないのを良いことに、私の妄想はどんどん広がっていく。「どちらからいらしたのですか?」その問いかけに、私の心臓が一瞬大きく跳ねた。その人の手元から慌てて顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべた初老の紳士と目が合う。

「あ、東京からです」そう答える私を見て、彼は、おや? とでもいうように首を上品に傾げて、眉をひそめた。同じ場所から乗ったのだから、この質問は少し妙じゃないか、と疑問に思いながら、慌てて考え直す。どこからやって来て、どこへ向かうかなんて、あのバスターミナルでは、それこそ千差万別だろう。「トウキョウ……」そう独り言のようにつぶやくと、彼は驚いたように目を見開いて、私をじっと見つめたまま、口を閉じてしまった。単身赴任のように週明けに上京するのならともかく、下るのだから、珍しいといえば珍しいのだろうか。だが、このバスは、私のように寮に入っている学生がよく利用するので、やっぱり取り立てて珍しいものとは思えなかった。「どうかしました?」不思議に思って口に出すと、彼は意外だとでも言いたげな顔になった。「……あぁ、13区のことですね。いや失礼。その呼び名を聞かなくなって久しいものですからつい」再び彼は、穏やかな笑みにどこか嬉しそうな表情を浮かべながら口を開いた。「珍しいですね。あなたのようなお若い方がその呼び名を知っているのは」これは一体、どういう意味だろう。なんて返したらよいのか分からず、戸惑っている私を見て、彼は不思議そうな顔になった。もしかしたら、少しおかしな人なのかもしれない。何だか怖くなって何も言えないままでいると、彼はまたハッとし、少し早い口調で聞いてきた。

「もしかしてあなた、8区の大学の学生さんですか?」無視をするか、もしくは運転手さんに言った方がいいのかもしれないと思いつつ、彼があまりにも切実な様子で話しかけてくるので、つい、口を開いてしまった。「8区とはなんのことでしょう」小さな声で答えると、彼は納得したような顔になり、「やっぱり」と口の中で呟いた。「どうも、迷われたようですな」その言葉に心の中で首をかしげるも、やっぱり怖いので何も言えない。「随分と前に、あなたと同じように迷われた方がいましてね。その方もそこの学生さんでしたよ。あぁ……何て言ったかな。古い呼び名が思い出せない」更なる混乱をもよおす話に、目を白黒させながら黙り込んでいると、彼は気の毒そうな顔で、再び口を開いた。「ごく稀にいらっしゃるんですよ。そういう方が。座標が近いせいで移転装置にバグが生じてしまうことがあるんです。だから私は、書き換えた方がいいと何度も支局に言っているのですが……」彼はそう言うと、一度言葉を切った。「ほら、外を見てごらんなさい」彼は、穏やかな声でそう言いながら、ゆっくりとその方向を指差す。私は、言われるがままに首を左に回して、窓の外を覗き見た。漆黒の空間に、青く輝く球体。どこかで見たことのあるそれは、ピンポン球のように小さく、精巧な模型か何かじゃないかと思うくらい、まるで現実味がない。すぐ側には、バレーボールよりももっと大きな、真っ赤な球体が浮かんでいた。よく見ると、表面がチラチラと揺れていて、火の竜が飛び跳ねているようだった。異様な光景から目が離せないでいると、男性が耳打ちしてきた。RU486

「素晴らしい眺めでしょう。何度見ても美しい」「あの青くて丸いのは……」「心配はいりません。ちゃんと元の時代に戻れますから。次の駅で一緒に降りましょう」にっこりと微笑まれ、私は訳が分からないまま、そっと頷いた。それを合図に、車体が揺れ始める。驚いてまた外を見るも、先ほどの不思議な光景とは打って変わって、何故か、真っ暗で何も見えない。「着陸の際は遮光されるんですよ」突然、バスの下の方で、何か大きな機械音がした。「さぁ、着きましたよ」車体の揺れが収まるなり、彼が私に声をかけた。もう一度窓の外を覗くと、そこは、ごく普通のバス停だった。頼り無さげな街灯に照らされた簡素な看板には、25という数字のみが表示されている。乗客を数人降ろすと、バスはごく普通に走り去っていった。迎えに来た人との再会を喜び、抱き合ったり、握手をしたりしている人がいる。乗り継ぎをする人は、側にあった時刻表らしきものと時計を見比べている。やがて、それぞれの目的地へ散り散りになっていき、辺りはシンと静まり返った彼に促され、私は目の前の古びた建物へと向かう。中に入ると、待ち合い室になっているようで、簡素な木のベンチが何本か並べてあった。時間が時間なので、腰掛けている人はごく僅かだ。バックパックを枕代わりにして寝ている人もいれば、会社帰りのサラリーマンらしき人もいる。その前を通り過ぎようとしたとき、ふと、男性が足を止めた。

「おや」その声に顔をあげた、男性というよりは青年といった顔つきのスーツ姿の会社員が、少し驚いたような表情で、こちらに目を向けた。「こんな時間に会うとは」「僕も驚いたよ」「お前も遅くまで大変だな」「父さんこそ、これから次の便に?」「あぁ、そのつもりだったんだが」そこまで言うと、男性は掌を私に向けて、紹介するような身振りをした。「例の大学の学生さんでね。また迷い込まれたようなんだ。困ったもんだな」「またか。それは困ったな」二人は、困った困ったと言いながらも、いたってのんびりとした口調で話し始めた。そこからは、さして困ったような雰囲気は微塵も感じられない。「あのバス停の座標はよろしくないと、私はもう何度か支局に言っているんだがね」「変更するとなると、近隣の方から苦情が来るんだよ」「まぁ、そっちも大変なのは分かるけどなぁ」「それに、上はなかなか腰をあげないんだよ」「今の所、目立った被害は起きていないからな」「……そうだね。元の時代に戻っても、夢だと思って忘れてしまうようだから」二人はまるで、平和な世間話でもしているかのように、呑気そうにそう言う。どこか腑に落ちない私は、被害者として何か言うべきだと思い、口を開きかけると、こちらに振り向いた青年と目が合った。

「今夜はもう遅いから、僕の家に泊まるといいよ」親しみやすい、優しげな笑みを浮かべる青年に、頷きそうになって慌てて留まる。どこか、遠いところへ来てしまったらしいことは確かだが、だからと言って、見ず知らずの人の家に泊まるなんて、どんなところだろうと危険なことに変わりはない。「あの、ご迷惑なので……」そこまで言いかけて、ふと黙り込む。この見ず知らずの土地で、どうしろというのだ。宿に泊まるにしても、持ち合わせはごく僅かだし、一人になるのはもの凄く心細かった。運良く親切そうな人に出会えたのだから、好意に甘えたいというのが本心ではあった。「あぁ、警戒させてしまったね。でも、泊まるにしても、この辺りは宿がないからなぁ」青年は、ぼやくようにそう言って、少し気まずそうな顔になると、恥ずかしげに笑った。男性は、不安そうな顔をしている私を覗き込み、穏やかな表情のまま口を開いた。「これは私の不肖の息子ではありますが、一応、支局直属の計算師として働いているので、心配しなくても大丈夫ですよ」そうは言っても、私のいたところと勝手が違うのだから、何を基準に信用すればよいのか分からない。頷くわけにもいかず、どうすれば良いのか分からないまま黙っていると、男性は再び口を開いた。「私の家にお招きすれば一番良いのかもしれませんが、実はこれから出張でして」男性は申し訳なさそうに、頭に手をやりながら説明をする。私は急に、寂しいような気持ちになった。

「彼の家はこの近くですし、そうすれば明日には帰ることができますから」どちらにせよ、今の私に与えられた選択肢は二つだった。ここで夜を明かすか、青年の家に泊まるか。「狭い家だけど、一応客室はあるから安心していいよ」青年は、屈託ない笑顔でそう言うと、腕時計に目をやった。「あぁ、時間だ。最終便が来るから急ごう」そう言ってベンチから立ち上がり、戸惑っている私の背中を、促すように軽く叩いた。「それではお嬢さん、またいつかお目にかかりましょう」男性は、初めて会ったときと同じように、穏やかな笑みを浮かべながら手を差し出した。私は、無意識のうちにその手を握り、彼と目を合わせる。「さようなら」私は、青年に腕を引かれながら、建物の外へ出て行った。バスには、私と青年しか乗っていなかった。何の変哲もない、ごく普通のバスだったが、窓から見える景色も、いたって普通の住宅街だった。所々に立っている街灯の黄色い灯りが、ぼんやりと辺りを浮かび上がらせていた。「ご飯はもう食べた?」「はい」「遠慮しないでいいよ。今日は疲れたでしょう」「いいえ。大丈夫です」男性は心配しなくていいとは言ったものの、未だに緊張が解けない。家を出るときに軽い夕飯を食べてきたこともあったが、胃の辺りがもたれたように重くなっていた。とても、何かを口にする気にはなれない。「ごめんね。迷惑をかけてしまって」ふと青年が、ぽつりと口を開いた。MaxMan

「昔はね、こういうことがあると歴史が変わってしまうって、大騒ぎしていたこともあったんだ。ほら、確か古い映画にあったよね。そういうの」多分、あれのことかな、と、私のお気に入りの映画のひとつのことを思い浮かべる。「でもね、今、僕がいるこの世界は、君の世界の未来とは少し違うんだよ」そう言った彼の表情は、何故か少し寂しそうだった。「あるとき一人の学者が論文を発表して、過去と未来は繋がっていないって実証したんだ」彼は、膝の上で手を組み、遠くを見るように前を向く。私は、彼の口元のあたりをぼんやりと見つめた。じっと耳をすませると、彼の柔らかい声の後ろから、静かなエンジンの音が聞こえてくる。「例えば大昔の話で、たまたま僕たちの祖先が生き残ったから今の僕たちがいるんだって思うでしょ。でもね恐竜達が生き残った別の世界も存在するってことなんだ」「行ったことあるんですか?」思わずそう聞くと、彼は笑って首をふった。「ないよ。理論上の話だからね。座標が分からないから行くことはできないし、行けたとしても向こうに移転装置がなければ戻ってくることができない」何となく、彼の言っていることが分かるような気がして、曖昧に頷くと、彼は困ったように笑った。5つ目の駅を過ぎてしばらくすると、彼が停車ボタンを押した。車内のアナウンスもないのに、よく降りる場所が分かるなと、少し感心する。

「そりゃ、毎日乗ってれば分かるよ」バスが止まると、彼は少し慌てた様子で財布の中から回数券のようなものを数枚引っぱりだした。「これ、この子のぶんです」彼は運転手に定期券のようなものを見せながら、先ほど取り出した紙片を降車口脇にあるボックスに差し込む。「小銭を持っていなかったから少し焦ったよ」「あぁ、私もよくやります」少しだけ、二人で笑い合う。「こういうところは何故か進歩がないんだよね」照れくさそうに笑う彼を見て、何故か私は安堵した。自分のいた時代と何ら変わりないそのやり取りが、不思議と心地よかった。25−6とだけ書かれた停留所のすぐ目の前には、4階建てくらいの平たいアパートが、規則正しく何棟も連なっていた。コンクリートのような壁面が、灯りに照らされて鈍く光っている。団地と様子が似ていたが、こちらの方が間取りが広そうだった。「ここまで来れば、土地がいくらでも余ってるって思ったんだろうな」アパートに向かって歩きながら、彼は話し始めた。「そんなに人口が増えたんですか」「そう。だから余裕でいられたのは最初の頃だけ。庭付き一戸建てなんて夢の話だよ」少しおどけた様子で、彼は夜空を指差す。「せっかくこんなに遠くまでやってきたのにね」その言葉に、私は急に鼻の奥がツンとして、どうしてだか涙が出そうになった。6と壁に大きく書かれた棟に入り、私達は金属製の古くさい螺旋階段を上り始めた。静かな空間に、カンカンと二人の足音が響きわたる。3階まで一気に上ると、少し息が切れてしまった。

「大丈夫? ここは新しいタイプの住宅地だから、エレベーターがついてないんだ」気遣うような彼の言葉に、私は肩で息をしながら無言で頷く。「新型なのに、ついてないんですか」「うん。予算をケチったんだよ」なるほど、と荒い息を吐きながら、私達はまた少し笑い合った。ようやく4階の、一番奥の扉の前までたどり着き、彼が鍵を回す。「はい、どうぞ。お疲れさま」そう言って扉を開けると、何かのセンサーが自動的に作動するのか、照明がパッと付いた。「すぐに何かいれるね。お茶でいい?」「あ、どうぞおかまいなく」白熱灯に照らされた空間は、おどろくほど所帯染みていた。12畳程度の広さの部屋に、変わったところなど何も見当たらない。中央には、一人がけのソファと足の低い小さなテーブルが置かれていた。壁一面に備え付けられた大きな書棚には、本や雑誌だけでなく、よく分からない細々としたものがあちこちに放りこまれていた。毛足の長いベージュのカーペットの上に、ちゃんと靴を脱いであがり、彼の様子を観察する。こじんまりとしたキッチンは小綺麗に片付けられていたが、朝食に使ったのだろうか、パン切りナイフと、使いこんだ感じの木の板が無造作に置かれていた。彼は、コンロの上にあった銀色のケトルを掴むと、蛇口を捻り、勢いよく流れ出る水に注ぎ口をあてがった。

「そこのソファにかけてて」そう言って私を促し、カチリとコンロの栓をひねる。「それは、ガスですか?」ボウッと音をたてている青白い炎を、少し遠巻きに見つめながら、彼に聞く。「そうだよ。ここは資源だけは無駄に豊富でね。電気より安いんだ」ふと、右隣の書棚を何気なく見やると、ちょうど目線の位置に立てかけてある、透明の板に気がつく。その間には、何か小さな白い紙片が挟まっていた。「僕の母は、君の大学の学生だったんだ」彼はこちらに歩み寄ると、私の視線の先を見てその板を手に取り、差し出してきた。よく見ると、白いと思った紙の端は黄色く褐変し、所々に小さな染みにようなものができている。「これ、28年前の学生証です」そう言って私は自分のカバンの中を探り、小銭入れから一枚のプラスティック製のカードを取り出した。目の前にあるものと見比べると、変わっていないのは校章だけで、押された朱印の形が違っていたり、学部の名前が編成前のものだったりと、随分と様変わりしていた。「母も、君と同じくらいの歳にここに迷い込んできた」彼は、学生証から目を離さずに、ポツリと呟く。「父と出逢って、結婚して、僕が生まれた。でも、僕が12才のときに、もとの時代に戻ってしまったんだ」急に、彼のお父さんの言葉を思い出した。随分と前に、ここに来た学生とは、彼女のことだったのだろうか。剥がれかかった白黒の写真から、髪の長い綺麗な女性が、少し緊張した眼差しでこちらを見つめていた。「きっと、故郷が恋しくてたまらなかったんだね」彼は、そっと、写真に語りかけるようにして呟いた。それは、どこか不思議な話だった。ここは、驚くほど私のいたところと似ている。どちらが私の世界なのか、分からないくらいに。

「いくら似ていてもね、母さんにとっての故郷は、ずっとあそこだったんだと思う」私の心の中を読んだかのように、彼は続ける。「ごめんね。嘘をついた。本当は、僕の一存で座標を変えることはできるんだ」彼は、少し申し訳なさそうな声で私に言う。「それが仕事だからね」学生証から顔をあげると、彼はやっぱり申し訳なさそうな顔をしていた。「でもね、23時発の前から3番目の左側の窓際に座っていればいいわけじゃない。色々な要因が重なり合って、偶然としかいえないような確率で、君はここに来たんだよ」そう言って、彼はぎこちなく笑ってみせた。私も、つられて笑おうとしたが、うまく笑えなかった。「それでも僕が座標を変えないでいるのは、いつか会えるかもしれないと、未練がましく期待をしているから」「お母さんは、きっと後悔してると思います」彼が今にも泣き出しそうだったので、つい、口に出してしまった。だが、こんなことを言ってもどうにもならない。彼女は、もう二度と、ここには戻れないのかもしれないのだから。「ありがとう。でもね、たぶん、僕は母さんを見ることができるんだよ」彼は少し嬉しそうな顔で私を窓辺に連れていった。生成りの薄手のカーテンをさっと引き、窓を開ける。「ほら、あそこにある光は、とても古いものだから」そう言って、彼は夜空に瞬く無数の星を見上げた。

突然、思い出したようなタイミングで、シュンシュンとお湯の沸く音が後ろから聞こえてくる。慌てて彼は窓を閉めると、キッチンへ駆け込み、コンロの火を消した。「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」「紅茶がいいです」少し大きめの声で、奥から話しかける彼に、同じように声を張って答えてから、私は窓際を離れた。翌朝、控えめなノック音で目が覚めて慌ててリビングに行くと、机の上には既に朝食の準備が整っていた。「おはよう。よく眠れた?」「すみません。寝坊しました」彼は、昨日とは違う色のスーツを着ていて、今にも出勤できそうな様子だった。遅刻させてしまったのかもと思い、不安に思いながら側にいくと、彼は紅茶の入ったポットを手渡してきた。「気にしないで。今日は遅番だから。早番だったら叩き起こしてたけどね」楽しそうにそう言って、彼はキッチンからスツールを引っ張りだし、席につく。私は、ポットから二人分のお茶を注ぎ、一人がけのソファに座った。「いただきます」焼きたてのトーストには、厚切りのバターが乗っていて、じわじわと下のほうが溶けはじめている。小さなティースプーンでそれを塗り広げようとするが、上のほうがまだ硬く、うまくいかない。お腹の空いていた私は、もどかしくなってスプーンを置き、端からかじり付いた。夜夜堅

「君の分も焼くね」私の食欲を見て、彼はパンをもう2枚切り、トースターにセットする。昨日感じていた胃のつかえは、ぐっすりと眠ったせいか、すっかり消えていた。カーテンの間から差し込む日差しは温かく、柔らかで、とても心地良い。様子がまったく違うのに、まるで自分の部屋にいるような錯覚すら覚える。「ごめん。今、お米を切らしてて、パンしかないんだ」「パンは好きです」「良かった。納豆もあるけど、上にかける?」思わず私は、最後のひとかけらを口に放り込むのをやめて、彼の顔をじっと見つめた。「パンの上にかけて海苔と一緒に食べると美味しいんだけど」彼は、私の表情を見て言わんとしたことが伝わったのか、少し自信なさげにモゴモゴと呟いた。「その食べ方は、初めて聞きました」「あれ、おかしいな……」朝食を終えると、彼は、机の上にごろりと転がっていた果物を剥いてくれた。分厚い皮を剥くたびに、細かな黄色の飛沫がとび散り、あたり一面を爽やかな香りで満たしていく。それは、ごく普通の、少し酸味の強い夏みかんだった。「お土産に持っていくと良いよ」部屋を出るときも、そう言って彼は、私に一個、投げてよこしてきた。手にしてみても、やっぱり何の変哲もないただの夏みかんだったが、何故か、とても大事なもののように思えてきて、カバンの中にそっと仕舞いこんだ。がらがらに空いたバスに乗り、昨日来た道を戻る途中、私は彼に話しかけてみた。「やっぱり、私のいた時代は、あなたの時代に繋がっているように思えるんですが」彼は、少し驚いたような表情になり、「そう?」と言って優しく笑った。

「うまく言えないけれど、私達が、変わらないままであり続けたから、ここが在るような気がするんです」「そうだね。もしかしたら、どこかで繋がっているかもしれないな」私達は、昨日と同じ、25とだけ書かれたそっけないバス停で別のバスに乗り換えた。外の景色を眺めていると、住宅街の中に、少しだけ高い建物がちらほらと見えはじめてくる。やがてバスは、一際古そうな、大きな建物の前でとまった。その停留所には、25−30と書かれていたが、彼の家からどのくらい離れているのかはよく分からなかった。建物に近づくと、茶色の外壁は所々剥げていて、修繕中なのか足場が組まれている。警備員さんに挨拶をして中に入り、正面に設置された古いエレベーターに乗り込む。彼が6と書かれたボタンを押し、「閉」ボタンを押そうとすると、扉の向こうから駆けてくる人が見えた。「あぁ、すみません」「何階ですか?」「8階をお願いします」彼が8と書かれたボタンを押すと、扉はガタガタと音をたてながら勝手に閉まっていった。「そちらは」後から乗ってきた中年の男性は、私を見ながら彼に問う。「例の、23時発の被害者ですよ」「これは珍しい。とんだ災難でしたね」その人は、私に向かってにっこりと笑いかけると、急にいたずらっぽい目つきになった。

「ここで見たことは、誰にも話してはいけませんよ」「なに言ってんですか」青年が、少し呆れたような口調で口をはさむと、彼は笑い声をあげた。男性と別れて6階で降りると、そこは、ごく普通の事務所のようだった。青年より少し年齢が上に見える一人の男性が、パソコンのようなものに向かって何かしていたが、私達が通ると、顔を上げてきた。「よう。そろそろ交替の時間か」「あぁ、でもその前に、9号室を使わせてもらうよ」「珍しいな」「これを期に、座標を書き換えようと思ってるんだ」彼は、珍しいと言うわりには、取り立てて驚いた様子もなく、私を見るとニヤリと笑った。「いいのか?」「何が?」「俺はてっきり、お前が座標を変えないのは何か如何わしい理由があると思っていたんだが」「うるさいよ」青年は、笑ってあしらうと、私を奥の部屋へと連れていった。「そこに立って」部屋の中は、まるでどこかの研究室のように、重厚な機械で溢れかえっていた。無数の配線が壁と床を這い、ピカピカに磨かれた銀色のそれらは、古いタイル張りの床の上で、異様なコントラストを成していた。言われた通り、彼が指差した所に立つが、別に何かの印があるわけでもなく、ここからどうやって私は元の時代に戻るのだろうかと、不思議な気持ちになった。「あぁ、これだ」彼は、机に設置された大きな画面上に映しだされた無数に並ぶ数字の配列をしばらく見つめると、納得したような声をだした。

「ほら、ここにバグができてる」そう言って、私の方を見て画面を指差すが、私には何のことだかさっぱり分からない。「今から座標を割り出すから少し待ってて」再び、彼は数字の配列に向き直り、何やら打ち込みはじめた。私は思わず、その後ろ姿に向かって話しかけた。「座標は、変えてしまうんですか」「うん。君が無事に戻ったらね」彼は打ち込む速度を緩めずに口を開く。「変えないでください」口から出た声は予想に反して随分と大きく、少し強い調子だったので、驚いた様子で彼がこちらに振り向いた。「その、今の所、目立った被害は起きていないから……」気まずくなって慌てて付け足すと、彼は、少し困ったような、でも口元には淡い笑みを浮かべながら、私をじっと見つめた。しばらくの間、奇妙な沈黙が続いた。相変わらず彼は、優しげなまなざしで私を見つめたまま何も言わないので、とても居心地が悪い。「そんなことを言われると、どうしていいのか分からなくなるよ」やがて彼は、やっぱり困ったような笑みで小さく呟くと、くるりと画面に向き直り、素早く何かを打ち込んだ。「これでよし。さぁ、そこに立って。もっと奥だよ」彼は、声の調子を少しだけ変えて私を促すも、そこにあるのはただの床だから、どこに立てばいいのかいまいち分かり辛い。「その辺りでいいよ。うん。さてと、準備はいいかな。忘れ物はない?」その言葉に、肩からさげたカバンの中を念のため覗いてみるが、大したものは入っていなかった。私が頷くのを確認すると、彼は、また素早く何かを打ち込んだ。その瞬間、周囲の機械がうなりをあげて起動をはじめ、そのかすかな振動が、床から私の足の裏に伝わってくる。

「あの、これでもうお別れなんですか?」少し騒がしくなった周囲の音に負けないように、私は声を出す。彼は、そっと首を横に振った。「また朝ご飯を食べにおいで。今度はご飯と塩鮭を用意しておくよ」「でも」「もしかしたら僕は、そっちに行くかもしれない。いつかね」確かにそう言って微笑む彼に、私は大きく頷いた。すると、辺りは突然、巨大なフラッシュでもたいたように強い光に包まれる。私は、眩しさのあまり強く目を瞑ると、その光は瞼の内側まで入ってきた。目の前が、白に浸食されていく。気がつくと、私は車窓をぼんやりと眺めていた。バスは既に高速道路を降りていて、人気のない深夜の一般道を走っている。ふと前を向くと、時刻はちょうど、0時を少し回ったところだった。道路が空いているため、昼間よりも随分と早く着くことに、少しだけ得をしたような気持ちになる。ふわりと、唐突にそれは漂ってきた。「いい香りですね」急に話しかけられたのでびくりとして隣をみると、一人の女性と目が合った。私の母親よりも少し若そうなその人は、どこかで見たことのあるような顔をしていて、それが何故だか思い出せない。不思議に思って、まじまじと見つめると、彼女は優しげな微笑みを浮かべた。「とても、懐かしい香りだわ」彼女はそう言って、少しの間目を瞑り、小さく溜め息をついた。私は、カバンの中からその香りの元を取り出した。「よかったらどうぞ」「あら、いいのかしら」女性は、まるで少女のように顔をほころばせて喜んだ。「えぇ、私はもう食べたので」彼女は私から夏みかんを受け取ると、そっと顔を近づけた。「本当に、良い香り」再び私は車窓に目を向ける。そこから見える景色は、見覚えがあるようでいて、でも、何かが違っていた。バスは、夜の道路をひっそりと走っていた。曲美
posted by chinaseiryokuzai at 12:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月01日

ジゼル

うちの家族は基本的に何故か全員俺に甘い。例えばそれが両親がはやくに離婚して父子家庭となったので、仕事で忙しい父にかわって他の兄弟が寂しがらないようにと末っ子を甘やかす、というような状況ならばまだ納得が出来る。実際両親がはやくに離婚しているし、父もそこそこ有名な会社の社長なんて肩書きを持っているので多忙を極めてはいるのだが。だけど・・・だけど、ひとつ普通と違っているのは、甘やかされているのが3人兄弟の次男である俺だという事。普通こういう場合、甘やかす対象って一番年齢の低い三男じゃないのか?「忠実、携帯いじりながらご飯を食べるのはよくないよ。」「んー、わかった。ごめんなさい。」父、弘人(ひろと)が、三男 忠実(ただみ)に優しく注意する。それに、反抗する事無く可愛らしく舌を出して返事を返す忠実。それを見て苦笑しながら家族全員のご飯をよそる長男 和巳(かずみ)、そして、そんな光景をぼけっと見つめているのが俺、次男の七海(ななみ)。穏やかな時間が流れる皆川家の朝の風景だ。温和で優しい父親、家事全般をこなす母親のような役割を担っている兄の和巳、やんちゃで人懐っこくて愛らしい容姿の末っ子忠実。そんな家族に囲まれている俺はというと、一言で「微妙」良くて「普通」の高校生。家事が出来るわけでもなく、弟のように愛想がいいわけでもなく、本当に普通。それが俺。なのに。

「・・・七海?全然 箸が進んでないけど・・・煮物口に合わなかった?」食事を始めてから10分ほど経っても、まだ眠気が取れきれずぼーっとしていた俺に兄が心配そうに声をかけてくる。「・・・え、ああ、平気。」それに生返事を返すと、すかさず弟が口を挟む。「なな兄、さっきから全然食べてないよ!もしかして調子悪いの?病院いく?」きゅーん、と子犬のように目を潤ませて心配そうに見つめる忠実。犬だったら耳がへにゃりとなっていそうなほど眉を八の字にして俺を見つめている。「七海君、大丈夫?学校、休んでもいいんだよ?」そしてさらに、今まで黙っていた父までもが俺を気遣わしげに見つめてくる始末。・・・ちょっと、眠気が覚めてないだけでこの心配・・・。過保護すぎるだろ!「あ、のさ、別に調子悪いとかじゃないから。大丈夫。ちょっと眠かっただけ!兄貴の作った煮物、美味しいよ!」慌てて、この三人に大丈夫だと主張して、ようやく納得したのか食事を再開する3人。・・・すげぇ、疲れるんだけど・・・。こう、目に見えて家族から甘やかされるのって何か腑に落ちないんだよなぁ。けれど、こうやって甘やかされて育てられた結果なのか、何なのか、俺は何故だか父さんに甘いらしい。多楽士コンドーム 超薄型

自分では自覚がないので分からないけど。俺は断じて父親に甘えたいバカ息子とかじゃなく、純粋に父親を慕っている。ただ、父さんがあまりにもぼえぼえしてて、ちょっと天然が入ってて、優しくてカッコイイから、その、放っておけないんだ。それを友人に以前話したら「お前、それをファザコンって言うんだよ!」とつっこまれた。失礼な。まぁ、違うと言い切れないから切ないんだけど・・・。俺が父に甘い原因は父自身にあると俺は思う。父は30代後半とは思えないほどの美形で(たまに本当に血がつながっているのか疑問に思うことがある)、しかも物凄くおっとりした性格。会社社長とは思えないくらい物腰が柔らかいし。でも、これを父をよく知る長年の友人であり、父の秘書である松永さんに言うと大爆笑される。何でも、昔の父は相当悪かったらしい。松永さん曰く「ヤクザか殺し屋にでもなればよかったのに」らしい。父が今のように性格が丸くなったのは俺が生まれた頃あたりからなのだとか。それを松永さんから聞いたとき、俺は純粋に2人目が生まれて家族の大切さがさらに分かったから優しくなったんじゃないですか、と言った。すると松永さんは腹を抱えて笑い出して「なぁ、七海。面白い事教えてやるよ。弘人の嫁が1人目を生んだ時、弘人が周りに何て言ってたか知ってるか? ―――不慮の事故で女が孕みやがった、って言ってたぜ。」楽しそうに言った松永さんに俺は衝撃を受けたのを覚えている。きっと松永さんは俺をからかったんだろうけど、冗談にしてもたちが悪い。本当に、何で父はあんな性格の悪い人を秘書になんかしたんだろう。と、まぁ、俺は松永さんの話を全く信じちゃいなかった。「・・・ごめん、七海。俺、もう我慢できないんだ。」

・・・何、この状況。それは、ある休日に起こった。その日は、忠実が部活で朝早くに出かけ、更に父が突然仕事が入った、と会社に行ってしまい、兄貴と2人で昼食をとり、のんびりリビングで寛いでいたはずなのに・・・何故、俺は兄にソファーの上で押し倒されているのか。「・・・兄貴?あの、重いんだけど・・・。」どいてくれ、と兄貴の身体を手で押すも、びくともしない。優男な雰囲気の癖して、兄貴は意外と力が強い。「・・・七海、お前が可愛くて仕方がないんだ。もう、我慢できない・・・愛してるんだ。」そう言って切なそうに眉を寄せる姿は、さすが高校時代モデルの仕事をしていただけあるな、と関心せずにはいられない。けれど・・・頭、大丈夫かコイツ。「・・・はぁあ!?ちょ、変な冗談やめろって、兄貴っ!」必死に兄貴の下で暴れるんだけど、非力な俺ではどうにもならない。「・・・冗談なんかじゃないよ、七海。ずっとお前が好きだった。」「・・・好きだったって、俺達兄弟じゃねぇかよ!!おいっ、服、脱がすな!!!」何て事ぬかしてんだ、バカ兄貴!目を覚ませ!と必死に叫んでいたその時、ドサッ・・・リビングの入り口で、何かが落ちる音がした。そこには、部活動カバンを床に落とし、放心したようにこちらを見つめる忠実の姿があった。「・・・忠実、お前、部活は・・・?」ちっ、と舌打ちしながら視線だけを忠実に向け問う兄貴。「・・・今日は、午前で終わりだよ。・・・それより、何やってるの、カズ兄。」そりゃそうだ。実の兄弟がソファーでこんな体制で組み合っているのだ。驚かないわけがない。いい所に帰ってきてくれた、忠実!このアホ兄貴をどうにかしてくれ!俺がそう叫ぼうとした瞬間、忠実は恐ろしい形相で兄貴を睨みつけながら、怒鳴った。「ずるいよ、カズ兄!!抜け駆けは絶対なしだって約束したじゃないか!!!」・・・え?「俺だって、ナナ兄に触りたいの我慢してたのにっ!誰も居ないとき狙ってナナ兄に手出すなんて最低だよ!!」そう言いながらズカズカと俺と兄貴が居るソファーに向かってくる忠実。「ふん、油断してたお前が悪いんだろう。それに、俺は約束なんかした覚えはないぞ。邪魔が入らないこんなチャンスを逃すわけないじゃないか。」多楽士コンドーム カラー型

・・・頭がくらくらしてきた・・・。「・・・カズ兄ばっかりずるい!俺もナナ兄に触るっ!!!」・・・何でそうなるんだよ!?「おい、兄貴っ、忠実、冗談はもうやめろっ!」俺は必死に手足をばたつかせて俺に乗っかっている兄貴を振りほどこうとした。しかし、兄貴の手が俺の手を簡単に封じこめ、挙句に弟の忠実に足を押さえつけられ一切身動きが取れない状況に陥ってしまった。「おい、忠実。お前は邪魔だ。向こうに行ってろ。」「ふざけた事言わないでよ、カズ兄こそ、邪魔だよ!」何なんだよ、こいつら・・・急に、何でこんな事・・・「も、う、やめ・・・っ」俺がパニックに陥りかけたその時、リビングの端からのんびりとした父の声が響いた。「お取り込み中申し訳ないんだけど。」この状況を見ても、いつもと変わらない父ののほほんとした態度に俺は泣きたくなった。「・・・父さん、会社・・・」驚いたように眼を見開く兄貴に、同じように忠実も驚いていた。「仕事が思いのほか速く片付いてね。・・・それより、七海を放しなさい、和巳。」いつもの穏やかな口調なのに、絶対に逆らってはいけない雰囲気を出している父に、さすがの兄貴も逆らう事ができなかったのか、俺の上から身体を離した。「・・・七海、こっちにおいで。」父が、余りにも優しく、ふわりと笑ったから。俺は、半泣きで父の元へ足をもつれさせながら走った。縋りつくように父に抱きついた俺を、父が優しく抱きとめてくれた。そして、到底今までの父とは思えないような凄みのある形相で、父が兄貴と忠実を睨んで言い放った。

「・・・自由にさせていれば、ふざけた真似しやがって、ガキ共が。」・・・え?父さん・・・?今まで聞いた事もない低い声を発する父に、驚いた俺は、ばっと顔を上げた。「・・・と、さん・・・?」俺が怯えているのが分かったのか、父はさっきとは打って変わって優しい表情で俺に微笑んだ。「ん?どうしたの、七海君。」兄貴達を相手にするのとは、全然違う優しい声色に俺の頬が熱くなるのが分かった。「真っ赤になった。可愛いね。」なんて耳元で囁く父さん。「ちょっ、耳やぁ・・・っ」「七海君は耳が弱いんだね。」なんて嬉しそうに呟くから。俺は、兄貴達に手足をつかまれたときみたいな抵抗なんて全くできなくて。そんな俺を嬉しそうに見つめた後、父が急に俺の身体を抱き上げた。「え、父さんっ!?」吃驚する俺に、優しく笑いかけて、それから父は視線を悔しそうに唇を噛んでいた兄貴達に向けた。「金輪際ふざけた真似はするな。七海は俺のものだ。今度、七海に触れたら・・・殺すぞ。」そう言い放つ父の表情が今まで見たこともないくらい怖くて、支配者の瞳で睨まれた兄貴と忠実の身体が恐怖に震えた。余りの恐怖に、2人の膝がガクガクと揺れていたのを見て、俺はようやく松永さんの言葉が事実だった事を理解した。

そして

抱きかかえられたままの俺は、何故かそのまま父の寝室まで連れて行かれてしまった。それから、優しくベッドに降ろされた。「・・・どうして抵抗しないの?和巳たちにされてたときみたいに抵抗しないと、襲うよ?」いいの?と聞いてくる父に、今日一日で許容量を遥かに超えてしまっている俺は、父の言っている事の大半を理解しないまま、それでも、父になら何をされてもいいと思ってしまっていた。「・・・七海、可愛いね。」余りにもいろんなことがありすぎて。余りにも兄貴と弟に言われた言葉の数々にショックを受けすぎて。だけど、父のこの優しい表情をみた瞬間 ―――すごく安心したんだ。「・・・ひどいこと、しない?」「しないよ。俺が七海に酷い事した事あった?」クスクス笑う父に、ドキドキしてしまって。「・・・父さんなら、いいよ。」「愛してるよ、七海。」多楽士コンドーム 潤滑型
posted by chinaseiryokuzai at 12:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

コドモアツカイ

――ヴ―ン、と、耳に響く小さな振動音が感情の麻痺をいよいよ確実にしようとしてる時、扉の向こうで鍵が落ちた。

「ただいまー。外、風強かったー」

スニーカーを脱ぐ音、重い扉が閉まる音。男と一緒に部屋の中に入ってきた風が湿った肌を撫で、少女は身を震わせた。

「丁度時間帯が悪かったなあ。朝メシて思ってたおにぎり売り切れてたよ。高菜のヤツ。まあ明日早目に出ればいいか。あ、でもこれはちゃんと買ってきたから。プリン。ほら。ぜーたくに生クリーム乗ってるやつにしたよー・・・椰智?」

黒いソファの上に横たわるのは、桃色のキャミソールを着た少女。
シーツに半分巻かれている状態で、目隠しで視界を遮断され猿轡のために唸りに近い声を漏らし、後ろ手に包帯で両手首を巻かれて、股の間の刺激に身体をひくつかせている。腿を伝う液体は、根元に溜まったのもが緩やかに流れ落ちているものだ。
コンビニエンスストアのビニール袋を提げた男はダイニングテーブルにそれを置き、中からプリンだけを取り出し冷蔵庫に仕舞って再びリビングに戻ってきた。片方の手をソファにかけて、シーツを摘み上げた。

「どのくらいいった?」

真平らな声で少女の耳元で呟く。噛ませた布を口から外して、唾液で汚れたタオルを腹の上に置く。苦しそうに息を吐き続ける唇に触れて、右手を内股に滑らせた。

「ひぁうっ!」

ぐちゅ、と、振動し続けていた、少女の陰部に挿し込まれていたバイブレーターを掴んで押し上げる。そこの肉を拡げて擦り上げて、舌先で転がした。暴れる脚は肩に掛けられ、目隠しの下で目をぎゅっと瞑る。喉から出るものを抑えられず未加工の声が上がる。

「はっ、や、あっ、す、おう、くッ」

片手で秘裂を弄び、もう片方で絹の上から膨れた胸の頂を指で挟んで強めに捏ねる。少女の身体は激しく震え、股の間はしとど濡れ溢れ水音は更に響き、挿入されて感覚を麻痺させていただけの異物は膣を熱くさせ、小さな足の指が反り、息が詰まった。精力剤
高みまで昇り切って、びくんと撥ねる。

「あ、・・・う、あ、周防、くん・・・すお・・・」
「やっぱちゃんとイジってあげないとダメみたいだね。一度にこんなになっちゃった」
「お願、めかくし、とって・・・変、いつもより」

それから、両手を縛る布も取って欲しいと、仰向けになって痛いと哀願する。
彼は手についた愛液を舐め取り少女の臍から曲線に撫ぜつけながら、どうしようかな、と返す。

「っつ、いじわるしないで・・・コレやだ・・・はずかしいよっ」
「椰智が良いよって最初に言ったんじゃん」
「だっ・・・て、ちょっとだけって、周防くん言うからぁ・・・」
「俺しかいないのに」
「!っ、あ!」

未だ挿入されたままになっていた器具の振動の激しさが増した。
流石にそっちはすぐ抜いてくれると思っていたから言わずに我慢していた。彼のでないそれは、戻ったら直ぐ取ってあげると言っていたから、断ったら別なものでもっと酷い事をされそうな気がしたから渋々承諾したのだ。だから、

「うっ・・・そつきぃ・・・」
「え、何?感じるって?・・・椰智ホントはこういうやつの方が好きなんじゃない?」

一度達して一層敏感になった内壁をこれまで以上に擦られ掻き回されれば誰だっておかしくなる。少女はかぶりを振った。喋れば舌を噛んでしまいそうだった。会話がまともに出来なくなりただ喘ぐ彼女を少しの間見下ろしていた男は半身を屈め、先程よりも丁寧にそこに舌を這わせた。
腹部に熱が集中する。まだ午後4時半を過ぎた頃だったが、厚いカーテンが陽の光を塞いだ狭い闇の中の更に深い、けれど明るい闇の中で、摩擦されて彼女は啼いた。男の肩に掛けて組んだ脚が力無く崩れ落ち、バイブレーターが引き抜かれると同時に熱い迸りが走るまで無遠慮な声はおさまらなかった。そこでようやく目隠しが外された。そして今日初めての『まともな』深い口付けがなされた。溶けきった表情で頬から耳を舐められるままにされていたが、「こんなになるの初めてだね」と、耳朶を甘噛みしながら言う声に不意に正気を取り戻し、震える膝をくっ付けてうまく回らない舌を必死に動かした。

「・・・や、っつ・・・わたし」
「おもらしまでしちゃうなんてさ」

理性が流した涙が顎まで到達しない間に、濡れたシーツごと彼女の身体は浮き上がった。抱きかかえたままキッチンを横切る。

「周防、くん」
「このまま風呂で洗濯しようね。その方が手っ取り早いし」

1時間前に見た顔が異様に懐かしく、しかしまたその整った優しい顔で彼女の小さな身体を玩んだ男の内面に慄然とするが、先に見える密室で容赦ない扱われ方をされると思うと震えが止まらなくなる。無論悦びが多く含まれたそれに、その恍惚に逆らえる訳がなかった。

積み上げられたビデオテープ。音楽CD。
それらはすべて少女の要望からその部屋の床に重なった。彼は「彩り」と言った。
彼の生活空間に踏み入れること。緊張やら、申し訳なさやら、不安やらが大部分占めていたが、しかしやはりこの上なく嬉しかった。はっきりと「初恋だ」と自覚してしまった時の動揺は、今まで感じたことの無い、掴み所のない、まずどうしたらいいのか分からない感覚を持たされた少女らしいものだった。
細かい事が気になりだし、朝の登校時、彼の出勤と重なり進行方向からスーツを着た彼がやってきて、屈託のない笑顔で「おはよう」と言ってそれに返すだけで、今日はちょっと声が上擦ったかな、ちゃんと笑えてたかなと、その日の午前中いっぱい気にしたりした。それはマンションの合鍵を渡してもらえるほどの間柄になって暫く経つまで変わらなかった。歩み寄りが深まるにつれ、感じる不安も増していた。『無理をしている』。彼がどんなビデオが見たいかと言った時、ちょっと昔の恋愛ものがいいとリクエストして借りてきてくれた所謂トレンディドラマで、『彼女が彼に相応しくない理由』でそんな台詞が出てきた際にはハッとしてしまった。けれど一緒にそれを見ていた彼はまるで気にならないらしかった。
時折、自分は彼の前で挙動不審と思われる態度をとっているが、彼には元から引っ込み思案気味だと思わせているから、むしろ対人関係を学ぶためにあそぼうと言ってくれているくらいなのだから、「無理して」なんて言い出しはしない。けれど当り前ながら、1個の“女”と思われてもいないのだとも思った。なら懸命に年の離れた妹の振りをしよう、それで傷つかずに済むならと、一種の開き直りが出来たのは彼に出会って2年目、恋の芽生えから半年ほど経過した頃だった。

数日置きに入り浸るのも習慣になったある日、いつも通り学校から帰って宿題を済ませてから彼の部屋を訪れた時、鍵穴に差し込んだ合鍵の回り方がいつもと違うのですぐ引き抜き、ノブに手を掛けた。
連続ドラマのビデオを纏めて借りてきてくれていて、それが彼女の興味をそそる話だったので、なら俺が居ない時でも勝手に上がって来ていいよ、と許可をくれたので、まだ家主が帰宅しない夕方に部屋に入らせて見させてもらっていた。鍵の感じが違うと思ってドアを押すと、やはり扉は開いていた。今時マンションなのにオートロックにもなっていないのに、開けっ放しなんて無用心だと独り言を漏らしながらも、玄関の仕事用の革靴を見て、私が今日も来ると確信していたのかな、などと、こそばゆい気持ちになった。男根増長素

「おじゃましまーす・・・」

それほど広い部屋ではない。入ったらすぐに声は届く筈だが、返事は返ってこなかった。リビングの隣を覗くと、水の流れる音がした。シャワーを浴びている。彼女は少し迷ったが、結局ソファのいつも自分が座っている位置に腰を下ろした。テレビをつけた。いいよねいつもと同じだもの、以前ほど彼に対して神経質にならなくなっていた彼女はビデオデッキの電源を入れた。前に来たのは2日前だったから、ささっているビデオが続きだと、再生ボタンを押した。しかしそこに映し出されたのは、ドラマの前話のダイジェストではなかった。

「・・・あっ、 え?」

そこに表れたのは、裸の男と女が絡み合っている場面だった。
女が下になり、男の腰に脚を巻きつけて、緩慢な動きでふたつの体はぶつかっていた。ああ、と、苦しそうとも嬉しそうともつかない喘ぎ声が上がる。彼女は硬直した。すぐにはその状況を理解できなかった。ブラウン管内の肉の戯れから目を逸らす事も出来ない。こんなものは見たことがない。けれど、身体がだんだん火照っていくのを感じる。緩慢だった動きが激しくなって、女の悲鳴のような声もだんだん短くなる。少女は見入った。喉が鳴った。
画面の女は、断末魔の如き詰まった声をあげた。

「・・・・・・あ・・・・・・」
「・・・やっちゃん?」

ガタン、と、テーブルに足がぶつかった。心臓が飛び出すかと思うほど驚いた。自分の名前を呼ぶ声の方を、恐る恐る振り返った。

「周防くん・・・あ、あの、わたしッ」

泣きそうになって目をこすってから、慌ててテレビのリモコンに手をかけた。

「ごめんなさい・・・!わたし、ビデオ・・・ドラマのやつだと思ってて、その、確かめないで、こ、こんなの」

ジャージのズボンを穿いて、上半身裸で頭にタオルをやって、彼は平素よりは困ったような表情で立っていた。しかし彼女の狼狽振りにむしろ冷静な顔になって近づき、リモコンを持った手の首を掴んだ。

「ごめんなさいって?」

先ほどまで湯を浴びていたはずなのに、男の手は冷たかった。停止ボタンを押そうとした指が動かず、彼女は頬だけを染めて、額を青くさせて俯く。

「これが何だか分かるんだ、椰智」
「わかっ・・・あ、わたし、が、」

テレビ画面の男女は、今度は体の位置を変え、女が男に馬乗りになって同じように腰を振っていた。サッと目を伏せる。

「・・・わたしが見ちゃいけないのだっていうのは、分かる」
「ああそうだね。――でも、感じるところはあるでしょ、コレ見て」

からかう調子ではない。手首に力が加わる。耳に女の喘ぎ声が響く。
尋常ではない事態に、取り乱すまいとするだけで必死だった。

(周防くんは、こんなもの、見てる)

バレンタインデーにチョコを渡した時、さり気ないのを装って恋人の有無を尋ねてみた。
「それがさ、俺全然モテないんだよね」。
彼女がいるのなら自分をこんなに気に掛けてくれたりしない、それは分かっているが、いつ鍵を返してくれと言われるかもわからない。だからホッとしながらも、次の瞬間には不安になっていた。そんなことばかりだった。けれど勇気を出して積極的になった所で相手にならない、困らせるだけなのは目に見えている。
しかしやっぱり彼は“男”だった。学校の男子ともまた違う。

「・・・わっ」
「えっと、フロイトだっけ」

掴んだままの手を引かれて、グイと後ろから抱き締められて、ソファの上で、彼の膝に座らされた。裸の胸を背に押し付けられて、ぞくりとした。

「小児・・・幼児性欲論ってさ、幼児にも性的な感受性があるってやつ。・・・それにあるんだから椰智に無いわけないよね」
「なっ・・・え、か、からかってる、のっ?」
「ん、や、訊いてるの。無いの?体が変に疼く時」

服の上から胸を撫でる。太腿に触れる。内股に滑らせる手を思わず掴むが、その手をどかせられず、ただその手の動きに沿う形になってしまった。天天素

「何・・・周防くんどうしたのっ・・・」
「勿論いるんでしょ、好きな奴くらい。クラスなんかに。こういうところ触って欲しいって思った事一度も無いの」

顎を捉まれ、無理やり正面に向かされる。絡み合い縺れる男と女。ひとつの場所で繋がり合っている肉の塊。
どうしてこんなことが、

「・・・ないよっ!がっ、学校に、好きな人はいない・・・」
「・・・そっか、じゃ、そいつのこと考えててなんて苦し紛れも言えないか」

少女の凹凸の無い、ただ細いだけの腰がぐっと引かれた。男は脚を広げ、少女を更に深く座らせる。彼女は身動き取れないまま、股の間に硬い感触を受ける。ショーツの上から割れ目をなぞる指を感じる。映像の男女は陰毛同士をくっつけて、混ぜ合わせる動きをする。悲鳴は喉を通らなかった。

「――ほら、見てみなよ。汚いだろ。醜いよね。あんな風にハダカで抱き合ってさ、滑稽だよね。・・・でも感じてこない?この辺り、熱くなってこない?」
「ふっ・・・」

谷間の肉を捏ねるようにして擦り合わせた。そして彼女を膝に乗せたまま少し腰を上げてジャージのズボンを下げた。今まで見た事のないグロテスクな肉の塊が突き出される。確かにそれは恋をしている相手の一部分だと認識したが、拒絶の言葉が喉を通る。

「なっ・・・いや!だめ!周防く・・・」
「なかなか濡れては来ないね。初めてなら当たり前かな。――ねえ、やっちゃん、俺のこと嫌い?こんなの気持ち悪い?」
「そん・・・周防くんが、きっ、きらいなんて・・・」
「本当はこんな済し崩しっていけないと思ってたんだけどさぁ、俺が嫌いじゃなければ少しだけ我慢して。・・・そしたら、俺、を、」
「周防くん!!」

耳朶に触れるか触れないかの距離に口唇を寄せて囁く言葉に耐えられなくなり、彼女は思わず声を張り上げた。様子を見ながら触れていた手の動きが強張る。
彼女は彼のズボンの腿の部分を掴んだ。

「なん・・・なにそれ・・・ずるいよ、ひどいよ。なんでっ・・・そんな言い方するのっ!?」
「なら他にどんな言い訳すればいい」

ソファが軋んだ。後ろから小さな身体を抱く腕に、力が入った。

「椰智みたいな子とこんな風にさ、したくなったって、どう言ったらいい?年の差なんてカンケー無く愛してるって言えば応えてくれるの?それで納得してくれるの?」
「え、や・・・だって、そんなの一度も・・・」
「無いよ。言える訳ないだろ。他の解消もなくてこんなの見てるよ。・・・悪い?誰も傷つけてなかったよ?」

いくらか枯れて聞こえる声に所謂社会に対する罪悪が篭っていた。
今までは、少なくとも彼女といる時は良識的な大人と言いきれない振る舞いを見せる男の、思ったよりも大人な、それでいて臆病な側面を感じた。
こんなものを晒しておいて何を言っているんだろうと、怖さが和らいできた。
喉を鳴らして、ズボンから手を放す。

「・・・ね、周防くん。わたし学校には好きな男の子なんていないよ。学校にいない、から、・・・だから、ちょっと無理してでも会いたい男の人なら、いる」

そう言って、そっと脚の間に手を伸ばした。人間の最も人間らしい部分の、奇怪で正直な肉の塊を両手で包んだ。先端の膨らみをやさしく指で押してみた。

「椰智」
「わたし、そのひとのなら、して・・・っで、できる、よ」

そこまで言ってしまうと、頬が一気に燃えるように熱くなった。そして彼の体から、石鹸の匂いが少し強く香った。自分は今、どんな匂いなのだろうと、首筋に顔を埋める男に訊きたかったが、訊かなかった。
代わりに、どうすればいい、と彼に問う。

「扱いて。・・・って、・・・両手でこう、握って・・・擦って」

それだけ違う意思を持つかのような熱い棒状の肉塊を、なるべく根元に近い部分から撫で上げるように、言われたように扱った。やりすぎたら痛いのかと思ってやさしく触れていたが、いくらも経たないうちに「もっと強く、」と、片手を添えて握り締められ、血管の浮き出ているそれを、その形と感触を、嫌だと言ってしまいたくなるくらい、知らされた。

「ふぁ!?」

肉棒の先端から滲み出ているものをぼんやり見ていると、少しだけ弄られて放って置かれた彼女の秘部に指が滑り、今度はショーツの脇から、3本の指の腹で肉の谷間を揉み、探る動きをした。くちゅり、と、ビデオからいつまでも聞こえてくる喘ぎの中、聞こえない水の音を聞いて彼女は眉根を寄せた。

「やだ・・・わたしがっ、今、すおうくんにしてるのっ・・やめて。できなくなっちゃ・・・」
「駄目。ここでイかせて」

彼女はぞっとした。陰毛と陰毛が絡みつく映像が脳裏をよぎる。今も2人は繋がったまま、背中からのアングルで映っている。いつまで続くのか、段々永遠に終わらないような気になってきた。そして自分の手の中のものを見る。益々膨張してきたそれを、自分のこの部分に挿入するなんて、死ぬのではないかと思う。扱く動きは止まらないが、恐怖と不安で一杯になる。少女のその心境に気づかない筈は無いが、彼は遠慮のない手つきでショーツをずらした。亀頭が花弁に押し付けられる。しかし彼女は掴んだままの手を放せない。
広げた股がビクリとなって、気持ちの分腰が浮いた。
割れ目が肉棒に吸い付き、そのまま5、6度擦り合った。

「・・・っ、はッ」
「す、・・・ん、あっ!」

陰核を潰され、彼女の身体は撥ね、彼は少女の胴に腕を巻いたまま達した。
精液がショーツの中に満ち、尻の方にもどろどろした液体が向かうのを感じる。
そして自然彼女の両手も汚れたが、あまりの事にそのリアルな体液も、ビクビク動き次第に小さくなっていく肉塊の感触も、頭が真白になった感覚も、逆に非現実的なものに思えて、荒く息を吐きつつそれを目で確かめられずにいた。
顔と陰部は熱いのに、そのほかの部分は血が引いていく。勢いだけで、もう引き返せないことをしてしまったと、不意に冷水に打たれた気分だった。男宝

「椰智」

しかし後ろから自分を抱きしめている男を非現実にはしたくなくて、か細い声で彼の名前を呼んだ。

「周防くん・・・そっ、あの、・・・だいじょうぶ?」

大丈夫かなどと訊いて、もし大丈夫じゃないと言われてもこれ以上何をどうする事も出来ないと思いながらも、そんな風にしか言えなかった。

「これでいいの・・・?わたし、まちがえなかった?周防くんこれで、よくなった?」
「良かった」

彼女の手が外れた。
汚れた両手は拳を作り、その置き場に困った。しかし上半身を傾けられ、彼の胸板についてしまった。彼は口付けを止めなかった。口唇を捉えてすぐに舌を差し入れ、短い舌と絡ませた。

「・・・甘い」

接吻しながら聞こえたそれに、家を出る前にプリンを食べてきたことを思い返した。
とろける食感の、カラメルの無いただ甘いだけのプリンだった。
足や腕が、冷えていた部分が温度を取り戻し、その温かさを求めて、それが初めてのキスだという認識のないまま懸命に口唇を貪った。彼の舌は何の味もしなかったが、深くなればなる程、口の中が甘く満たされていった。

気づいた時にはビデオは止まっていた。そしてはじめて、部屋に木霊する甘ったるい女の声は、自分の喉から出ているものだと知らされた。

「んああッ!」

狭いバスタブの中、秘部を右手親指でぐいぐいと刺激され、乳首を吸われる。背中が滑りそうになるが強く押し付けられているので大きく開いた脚が宙に浮く。
既に洗い場でボディソープを泡立てた手で全身を揉まれ、意地の悪い言葉を吹き掛けられ、覚えているだけで4回は小さな死に追いやられた。

「こんなにちっちゃいのに、ヤラシイ身体だね。折角洗ってあげてるのにいつまでも下のクチは涎垂らして」
「もうやっ・・・めだよぅ・・・すおうくんの、いっ、れて・・・」

後ろ手の包帯は巻かれたままだった。キャミソールは捲り上げられる所まで捲られていて、湯を含んでぐっしょり濡れている。
抱きつく事も拒むことも出来ない。――というよりも、「したくない」、のだが。

「ホントは外せる、んでしょ」
「・・・・・・」

少し癖っ毛で、いつもは外に跳ねている長めの髪が湯をかぶって真っ直ぐだらりと垂れている。彼を見つめているだけでおかしい程胸が高鳴り、顔を背ける。

「ちょっとカタ目に縛ってるって言っても蝶々結びだよ。少し隙間もあるし。ホントに嫌ならもがいて指使って外しなよ。後ろ手は痛くて辛いんだろ」
「・・・それはっ・・・だって、」

だって、周防くんがつけたものだから。
彼につけられたものは彼に取ってもらいたい。
彼に反することは何もしたくない。
そんな風にしか思うことの出来ない時が最も溺れている自分を感じる。
いくつも恋をする人間が主体のドラマを見た。イゾンする関係がケンコウテキで無い事はそれらを見ていれば自然に分かってくる。具体的な考察をしろと言われたら上手く言葉に出来ないが、すべて相手の思うままになりたいとか、何だってして欲しいという先に幸せな未来はない。けれどそれは望まず今、ただひたすら抱いて貰える喜びを選んだ。始まり方は異様だったが、傍から見たらその全てが異様な関係だ。先の事は考えたくない。このひとの心変わりなんて、息が止まりそうになる。

「・・・そーやって俺を甘やかすから。椰智をこんな風に閉じ込めちゃうんだよ」
「だって・・・すおうくんだもん・・・すおうくんだからっ・・・好きだから!・・・いいの・・・すおうくん、すき・・・」

その時ようやく彼はシャワーのノズルを放して、それよりも太い、血液の滾った塊を彼女の前に突き出した。そして包帯を外して、やわらかく小さな手にそれを掴ませる。今では口に咥えて奉仕することも覚えたが、その余裕はなかった。すぐに挿れて、掻き回して欲しい。亀裂に導いた。そこまでするとようやく男は少女の腰を浮かせて、身を引き寄せた。
歓喜の悲鳴は彼の唇にのまれて、両方の口を塞がれ抱き締められて、全身濡れた身体をぶつけ、背中に回した腕に力が入り、爪が食い込んで血が滲んだ。
透明な液体が溢れるそこも、初めて迎えた時出血が酷かった。
指で馴らして、いくことが出来ていても、男根の圧迫はその比ではなかった。
こんなに苦しくて痛いこと好きな相手でなければ絶対に耐えられない。知らない男性に乱暴された、などという事件を耳にして、好きでもない人間にこんなことをされるなんて考えたら、恐怖で身震いがする。――周防くんだけ、周防くんだけ、周防くんだけ。ただひたすらの快楽に転じてからも、当然の心情だ。
1度目の射精が済んでも彼女の中に入れたまま、何回もした。
流石に限界が来て彼の胸にぐったり凭れていると、せっかくだから少し沈んで上がろう、と、前もって半分くらいまで溜めた湯が温くなっているバスタブを指すので、深く考えることもなく即座にこっくり頷いた。
底の栓を抜いて戯れのようにまた愛撫が始まったのは、一息ついて身体が解れかけていた頃合だった。

「参っちゃうよね、ニンゲンって万年発情すんだから。・・・何時までも何時までもフラチな事考えて、しちゃうんだから」

少女の右胸と左胸の大きさを比べながら、その先端の膨らみを捏ねる。

「ま・・・ね、もう、やめよう?つかれたよ・・・」
「俺はあんまり疲れてない」
「でも、明日も会社だって・・・」
お子様は気にしなーい」

不服そうに口を一文字にして彼の手をぐっと押した。子供だと言われて腹を立てることが子供だが、彼女の理は真っ当なものだった。

「怒んないでよ。・・・あのさ、昨日急に辞令が出て、来週から出張になったんだ」
「え・・・どこ?」
「愛知。順調にいっても2週間くらいはかかるから。勿論メールはするよ。でもいつもより長いのは確実だから。ビデオ借りてこられないや」
「そんなのはっ・・・いい、けど」

彼の分泌液で満ちた身体。もう充分過ぎるほど注がれたのに。欲しがって飲まされて体力の限界を感じていたのに、急に切なくなって抱きついた。彼は背を反らせ、髪を弄くりながら抱き締め返した。威哥王

「俺はこの肌を思い返せばそれくらい耐えられると思うけど、椰智は・・・その内我慢出来なくなるんじゃないかと思ってオモチャで試してみたんだけど・・・嫌みたいだね」
「あたりまえだよ。いやだよ。・・・周防くんじゃなきゃ、やだもん」
「・・・俺、」

彼女の尻を掴んで持ち上げる。首にしがみ付いたまま、彼が自分の体を仰向けるまま任せて、底に背中をつける彼と肌をぴったり合わせた。その身体を両手がぐっと捕まえる。
顔を上げると、唇が触れてきた。

「俺さぁ、こんなの初めてなんだよね。好きになると偏執的になるっていうか、・・・あ、わかるか。で、すぐ欲しくて堪んなくなる。それで逃げられちゃう。だから椰智はモロにタイプだったけど、このまま大きくなってくれるか、いつまでも見ていたいと思った。せめて他のに取られないように、気を引かせるだけでいっぱいだった」

少女を起こして腰を引く。馬乗りに跨がせ、小指の先端を割れ目の始まりに滑らせた。

「んっ・・・!」
「ねぇ、椰智が挿れて?」

男の胸板についていた柔らかな手が緊張で強張る。しかしそれも一瞬で、焦れる心が腰を浮かせた。敏感な部分に滾ったものが触れるだけで頂点まで達してしまいそうになる。しかし男の手に支えられながら、愛液が溢れるそこを拡げてゆっく飲み込んでいった。

「あっ・・・ん、ぅ、う・・・あ・・・」
「・・・分かっているのにどうしてこう上手くコントロール出来ないんだろ。こんなに俺の事好いてくれてるって分かっているのに、教えたのは俺なのに、俺以外に抱かれてたらどうしようなんて、信じきれないなんて、酷い奴だね」

手のひらが彼女の両胸に添えられる。乳首が抓られて、下腹部に神経を集中させていた身体は大きく撥ね上がり、まだ奥まで達していない肉塊を中途半端に締めつけた。
膣の中が熱い液体で満ちる。半開きで喘ぐ唇から零れる唾液が彼の腹に垂れた。

「は、っ、や、だ・・・いやだァ・・・」

もう一度腰を揺り動かして快楽を感じて貰いたいと前にのめり込むようにすると、そのまま力が抜けて男の胸に倒れてしまった。

「すお・・・」
「お疲れ様。・・・あと1回だけさせてもらうね?」
「!・・・っつ、あッ」

尻を掴まれ柔肉を揉まれ、同時に腰がグイグイ押し付けられた。
より深く、最奥まで潜っては摩られ、激しく打たれ、彼女はひたすら男の名前を呼び続け、啼いた。
瞼の裏に、はじめて見たアダルトビデオの映像が表れる。滑稽な、淫猥な、生命に溢れた、吐き気を催すあれだ。手綱を失って暴走している姿だ。


「っ・・・あああ!」

彼女の内部が彼で満ちる。
強制されたものではない。望んだもの、欲しかったもので自分の「女」を見つけだせた。
注がれるものを愛しむ。朦朧とした頭で、萎えて引き抜かれた彼自身を撫でる。

「・・・周防くん、わたし、うれしいよ?だいてもらうのも、やきもちやいてくれるのも・・・うれしい。だから、困るとか、いわないで?わたし、かわいくなるから・・・すおうくんが好みっておもうように、・・・努力、するから。・・・だから、私、の、こと」

眼を合わせると、それ以上の言葉は出なくなった。背中に回された手と、触れるだけの優しい唇に、願望が昇華されるのを感じられた。
ぽとりと落ちた水滴は、胸の間を流れて絡まった脚に伝っていった。

Tシャツにジャージの格好で、薄暗い中本を読んでいる。
白っぽいカバーが目立つ。夜になったのに白色灯は点けず、ほの暗い橙の光の中で本の頁を捲っている。彼女は少し離れたテーブルで、少しずつゆっくりプリンを食べている。
何時の頃からか性行為の後の習慣になっていた。
外国人の著者名の哲学や自然科学の内容らしい。小難しい文章を追っている目を見つめる。これは、バランスのためなのか。今まで付き合った女の人との間でもこんな風だったのか、訊くに訊けない。
どれほど傍にいても求めきれない、侵すことのできない部分がある。けれどだからこそここにいられる。物分りのいい顔をしたいからではない、と、彼女自身に弁明する。ただ怖いからだ。

「周防くん、それ面白い?」
「ん?ううん。それほど面白いとは思わない。なんか要領を得ないし。俺バカだから」
「読んできかせて」

途中からでもいい?と訊く男に、何も考えないまま頷く。その時何故かふっと笑った。
彼女はプラスチックのスプーンを軽く噛んだ。

「『・・・私は逃げる。卑劣漢は逃亡した。強姦された少女のからだ。彼女は自分の体内に他の肉体が滑り込んでくるのを感じた」

どこまでも事務的な、感情を含まない声。思えば一番最初の、彼に惹かれる要因になったのはこの低いのにきれいな声だったのだと思う。

「・・・私のうしろにある、私のズボンの中で掻く、掻く、掻く、少女の泥まみれの指を引っ張る、泥水からでてきた私の指の上の泥、指は静かにまた落ちる、指はぐったりした。卑劣漢に頸をしめられた少女の指を前よりも弱く掻いた、少女の指は泥を掻いた、大地を前よりも弱く掻いた、指が静かに滑る、頭が最初に落ち、私の腿を暖かく転がって愛撫する。実存は柔らかく、転がり、揺れる、私は家々の間で揺れる、私は在る、私は実存する、われ思うゆえにわれ揺れる。私は在る。実存は地位を失った失墜だ、地位は失われないだろう、失うだろう、指が開口部を掻く、実存は不完全なもの。紳士。立派な紳士は実存する。紳士は自分が実存することを感じている。いや、傲慢で昼顔科植物のようにふわふわした、道をゆく立派な紳士は自分が実存することを感じない』」

そこで言葉が切れた。
彼は手招きをした。

「プリン、もらってもいい?」
「え?・・・うん。でも、あと少ししか残ってない」
「いいから」

数時間前まで少女を拘束していた黒いソファに本を投げた。プリンの容器を差し出す手を強引に自分の胸元に引き寄せる。――あ、と、発しかけた唇が塞がれる。舌が絡む。全て予定調和。それが、とても心地よい。
いつか誰かに密告される恐ろしさを絡みつけて、唾液を飲み込む音を聞き、咽喉仏にそっと指先で触れてみた。蟻力神
彼そのものの形に、触れた気がした。
posted by chinaseiryokuzai at 19:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月21日

花びらの降る朝を

「まったく、何でこんなへんぴな所に引っ越しやがったんだ」青年はまだ遠くに見える家を眺めてそう呟いた。肩の下まである髪を後ろで一つに結わえたこの青年は、名をヴィスリンと言う。普段は仕事で王都に住んでいるのだが、一年振りの長期休暇で故郷の村に帰って来たのだ。幼馴染みに会いに行こうとすると、両親に村外れに引っ越したのだと言われた。場所を詳しく聞くと、本当に村外れでその辺りにはその家しか無い。馬でくれば良かったと思いながらようやく家まで辿り着くと、扉を叩いて大きな声で幼馴染みの名を呼んだ。「アルトゥール!俺だ!」しばらくして扉が開かれ、腰の下まである髪を三つ編みにした青年が顔を出した。「久し振りだな。元気だったか」「ああ、俺の家から此処まで歩いてくるくらいには元気だ。こんな遠くに引っ越しやがって」悪態をつきながらも、ヴィスリンは笑っていた。強い陽射しの照りつける午後に結構な距離を歩いて来たが、それだけの価値がある相手なのだ。アルトゥールと呼ばれた青年は中に入るように促した。「まあせっかく来てくれたのだから、ゆっくりしていけ」「言われなくてもそうする」この家は昔から此処にあった物で、元々は誰かの別荘らしい事はヴィスリンは知っていた。だがもう十年は使われていない。理由は村外れすぎて不便だからだ。アルトゥールは村の中心に自分の家を持っていたのに、わざわざ移り住む必要性が分からない。
「こんな所に越した理由は何なんだ。お前の仕事に不便だろうに。馬には乗れるようになったのかよ」「それを説明する前に、紹介したい相手がいる。少し待っていろ」そう言うとアルトゥールは二階に上がっていった。そして降りて来た時、一人の若い娘を連れていた。二十歳前くらいだろうか、可愛いと言える範囲の容姿をしている。だが生気が無いくらいにひどく大人しそうで、それが美貌を半減させているようにヴィスリンには見えた。「スティーナと言うんだ。半年程前から一緒に暮らしている」「……初めまして」娘は礼儀正しくお辞儀をし、見た目に相応しいやけに静かな声で挨拶をした。だが人見知りが激しいのだろうか、アルトゥールの後ろに隠れたそうにしている。一人暮らしだとばかり思っていたのに、女性と暮らしている事にヴィスリンは驚いた。「何だ、お前結婚したのか!?」そうじゃない、とアルトゥールは笑った。古い知人の孫娘なのだが、祖父を亡くして身寄りが無くなったので引き取ったのだと説明した。だがヴィスリンは完全に納得しなかった。小さな子供でもないのに、引き取る必要があるのだろうか、と。「スティーナ、こいつはヴィスリンと言って俺の幼馴染みだ。見ての通り、俺と同じルティアナだ」ルティアナとは種族の名前だ。人間と言えばそうだし、人間では無いと言えばそうだ。この種族の者は皆、青みのある銀髪をしていて、左目は濃い茶色をしている。右目の色はそれぞれ違い、ヴィスリンは薄い茶色でアルトゥールは赤紫色だ。彼等の種族の特徴は他にもある。産まれて思春期頃までは普通に成長するが、それ以降は極端に遅くなる。そしてその分長寿なのだ。ヴィスリンとアルトゥールは外見は二十代後半に見えるが、実際には百歳を超えている。
「初めまして。どうぞよろしく」ヴィスリンはスティーナに手を差し伸べたが、スティーナはどこか戸惑っている。その様子を見てアルトゥールが軽く笑った。「スティーナ、こいつの事は信用して良い。だから君を紹介した」「……はい、アルトゥール様。失礼致しました、ヴィスリン様。よろしくお願い致します」ようやくスティーナはヴィスリンの手を取った。握手をしながら、ヴィスリンは不思議に思っていた。誰にでもこの娘の事を紹介している訳では無いようだ。もしかしてこの娘の存在を隠す為に、この家に移り住んだのだろうか。「すぐにお茶の用意を致します。それともお酒の方がよろしいでしょうか」警戒心らしき物は解けたらしく、スティーナはヴィスリンに微笑んだ。お茶が良いな、とヴィスリンが答えると、アルトゥールはくれぐれも火傷などしないように、とスティーナに注意した。スティーナは分かっています、と答えると台所へと向かった。「やけに過保護なんだな。お茶の用意くらいで大火傷なんかしないだろう。もししたってお前ならすぐ治せるだろうに」呆れた口調でヴィスリンはそう言った。アルトゥールは治癒師なのだ。薬の知識も豊富なら治癒術もかなり使える。だがアルトゥールはどこか淋しそうに答えた。「俺には彼女は治せんよ」

 居間でアルトゥールとヴィスリンが話し込んでいると、スティーナがトレイにお茶のポットとカップを持ってやって来た。そしてテーブルに並べると、二人の邪魔をしないようにすぐに下がった。部屋の扉が閉められてから、アルトゥールはヴィスリンに聞いた。「どう思う、彼女を」「どうって、そうだな、笑えばもっと可愛いだろうにやけに生気が無いな」率直な感想にアルトゥールは苦笑した。彼女に生気が無いのは、アルトゥールも以前から気にしていた事なのだ。引き取る前はそうでも無かったのだが。それからヴィスリンは疑問をぶつけた。「お前はさっき、彼女が火傷したら治せないと言ったな。どういう事だ。お前は宮廷から仕官するように、要請されている程の腕だろうが」かなり以前から宮廷治癒師として仕官するようにと、アルトゥールには話がきていた。だが宮仕えは堅苦しくて面倒臭いので、適当な理由をつけて断り続けている。その話は国王軍で大隊長を勤めている、ヴィスリンの耳に何度か入っていた。「確かに俺は自分の治癒師の腕には自信がある。俺が宮廷治癒師になったら、地元の連中が非常に困るだろうってくらいにはな。だがな……お前は彼女が人間に見えるか」「人間以外の何だって言うんだ?」スティーナはルティアナでは無かった。それなら他にはこんな姿をした生き物は人間しかいない。不思議そうなヴィスリンに、アルトゥールは自嘲めいた表情を見せた。
「彼女は、人形だ」その答えにヴィスリンはすぐに言葉が出なかった。彼女は普通に歩いていたし口も聞いた。瞳や皮膚などどこをどう見ても人間だったし、握手をした時に触れた感触は温かく柔らかかった。「……冗談か?」「人形なんだよ。俺は治癒師を職業にしているが、お前は俺の事を知っているだろう?」何を知っているのか言いたい事は分かったので、ヴィスリンは肯定した。アルトゥールは治癒師だが、本当は使える呪術は治癒だけでは無い。呪術師では無く治癒師を名乗っているのは、その仕事に専念したいからだった。「彼女の祖父ってのは人形を作る職人でな、亡くなった孫娘に似せた人形を作ったんだ。それを俺が呪術で自動人形にしたのさ」スティーナは本当は主に木材で作られた人形で、呪術によって人間に見えているだけなのだと、そうアルトゥールは説明した。説明されてもまだヴィスリンは信じられなかった。あの娘が人間では無いなどとは。アルトゥールの呪術師としての力が結構な物らしい事は、ヴィスリンは昔から知っていた。だがまさかここまでとは思っていなかった。自動人形と言ったが、スティーナは命令されるままに動いているようでは無かった。自分の意思で動き話す事まで出来るのか。「……それで彼女を隠して、此処に住んでいるのか」「そうだ。彼女は歳をとらない。そこまでの呪術は俺にはかけれなかった。だからお前に紹介した時に、彼女は戸惑っていたのさ」人目を避けて住んでいるのに、他人に紹介されるのは抵抗があったのだろう。という事は、彼女は自分が人目についてはいけないと理解しているのだ。一体どこまで人間に近く出来上がっているのだろうか。司米安

「これが俺の近況さ。ヴィスリンはどうだ?」「相変わらず上には嫌われてるさ。騎士階級や貴族階級の産まれでも無い俺が、大隊長にまで昇進してるもんでね。『成り上がりの若造』なんて呼ばれてるが、あいつらの倍は俺の方が生きてるんだがな」陽気な口調でヴィスリンは答えた。平民の自分が何の後ろ盾も無く大隊長まで昇進したのは、それだけの実力があってこそで、充分自分に自信があった。だからヴィスリンはなんと陰口を叩かれようと気にならない。だが昇進は喜ばしいだけの事では無い。それだけ武勲を立てるだけの機会があった、と言う事だからだ。この国はずっと以前から、西の隣国に狙われているのだ。国境付近では何度も戦が起きていて、死傷者の数も結構出ている。西の隣国は無償の傭役(ようえき)制度があり、あまり豊かな国では無い。そして国王は野心家だった。この国は豊かな土壌に恵まれていて、作物が豊富だ。国土を広げるだけではなく、その豊かさを隣国は狙っているのだ。おまけに隣国の国教は他の宗教の存在を認めない。同じ宗教を信仰していないこの国は、滅びるのが彼等の道理なのだ。「俺はこの国が滅ぼうが国王が変わろうが、興味は無い。今の政より悪くさえならなければ、だがな。だがあの土地を荒らされるのは、黙って見てられない。戦えるうちは戦うさ」ヴィスリンが軍人になったのは、愛国心からでは無かった。何度も戦が起きている西の国境付近には、ヴィスリンの妻の故郷がある。その土地に妻は二十年近く前に眠りについた。すでに土に還っていても、このまま静かに眠らせてやりたかった。
 ヴィスリンの妻はルティアナでは無かった。異種族の婚姻はあまり祝福される事が無い。何故なら異種族間に子供が産まれた事が、過去に一度も無いからだった。だから一般的には、自然の摂理に反する事のように思われていた。それに成長速度が違う事も、あまり祝福されない原因の一つだった。妻はヴィスリンが青年の姿の間、どんどん年老いていった。だが老婆になっても、ヴィスリンの妻への愛情は欠片も変わる事は無かった。その事に妻の親族達は安堵したが、もし亡くなった時は二人共妻の産まれ故郷に眠らせる事、という条件は変わらなかった。おそらく妻の両親は、ルティアナに娘を奪われてしまうと感じたのだろう。二人の結婚を認める代わりに出された条件に、ヴィスリンは反対しなかった。「隣国は異教徒の俺達を殺す事に、何の疑問も持たない。そう叩き込まれて育ってるんだからな、そう簡単に価値観は変わらないだろう。せいぜい派手に殉死させてやるが良いさ」苦々し気にアルトゥールはそう言った。治癒を生業としているアルトゥールにとって、殺戮と殉死を賛美する隣国の価値観は嫌悪すべき物だった。この国では戦う者は職業軍人だが、隣国では違う。異教徒と戦う者は彼等の信仰する神の使いなのだ。殺戮や強奪を進んでする者が神の使いか、とアルトゥールにすればただ馬鹿馬鹿しかった。「ところでヴィスリン。お前が軍人になると言い出した時の約束は、覚えているか?」うってかわって呑気な口調で聞くアルトゥールに、ヴィスリンは呆れた。忘れたくても忘れられるはずが無いからだ。
「お前なあ、これが見えないのか」ヴィスリンは自分の左耳を指差した。そこにはガーネットのピアスがはめてあった。王都に向かう前に、アルトゥールにさせられたのだった。「ちゃんとはめてるな」「絶対に外すなと言ったのはお前だろうが!」ピアスどころか宝飾品に全く興味の無いヴィスリンは、当時随分と嫌がった。結局押し切られたのだが、どうしてピアスをする必要性があるのか、全く説明はされなかった。「化膿するし熱は出るし、そこまでして俺がピアスをする意味は何なんだ」「ちゃんと薬を出してやったし、治癒術もかけてやっただろうが。俺とお揃いで嬉しいだろう?」けろりとした口調と表情でアルトゥールは答えた。確かにアルトゥールの右耳には、お揃いのピアスがはめてある。ヴィスリンにピアスをさせる少し前に、自分で開けたのだ。結局この日もアルトゥールは説明を一切しなかった。

 二人は夕食を食べヴィスリンが持参した酒を酌み交わし、懐かしく楽しいと言えるだけの時間が過ぎた。また長期休暇が取れたら来ると約束をして、ヴィスリンは帰る為に立ち上がった。家を出て行く前にヴィスリンは、アルトゥールの肩を抱いて頬に口付けた。「花びらの降る朝を」「ああ。花びらの降る朝を」同じ言葉を返して、アルトゥールもヴィスリンの肩を抱いて頬に口付けた。その様子をスティーナは黙って見ていたが、ヴィスリンが出て行く前に声をかけた。「あの、ヴィスリン様」「ん?」「お二人は恋人だったのですか?」大真面目な質問に、ヴィスリンは腰が抜けそうになり、アルトゥールは声を上げて笑い出した。今二人がした事はルティアナの風習だった。肩を抱くのも頬に口付けするのも、決して恋愛感情からくる行為では無い。相手が友人でも家族でも普通にする。ルティアナは死別で無い限り、別れる時にさようならを言わないのだ。代わりに「良い明日が相手に訪れますように」と言う意味で交わす言葉、それが「花びらの降る朝を」なのだ。それを説明されると、スティーナは何か言いたそうな表情をした。だが自分からは何も言わなかった。それに気付いたアルトゥールが、失礼だろう、とヴィスリンをひじでつついた。ああ、とヴィスリンはスティーナに歩み寄った。「花びらの降る朝を」そう言われて頬に口付けされて、初めてスティーナはヴィスリンに生気に満ちた笑顔を見せた。そしてスティーナも同じ挨拶を返した。家の外に出てヴィスリンを見送った後、アルトゥールは家に入ろうとした。だがスティーナは庭を見て動こうとしない。何を見ているのかと視線をやると、木の下にひな鳥が一羽落ちて小さな声で鳴いていた。巣に戻してやりたいと思ったが、スティーナでは手が届かない。
「アルトゥール様、巣に戻してやれませんか」その頼みにアルトゥールは首を振った。戻すべきではない、と。何故なら巣に戻しても、一度落ちたひな鳥は「生存競争に負けた者」として受け入れられず、また落とされるからだ。種類によっては、落ちても親鳥が世話を続ける場合もある。どちらにせよ、自然の摂理に手を出すべきでは無い、とアルトゥールは説明した。「……アルトゥール様」「納得出来ないか?」「それは、アルトゥール様ではありませんか」この家に引き取られる前は、スティーナはよく笑った。そうする事が祖父を喜ばせると、自分はその為に作られたのだと、分かっていた。優しい独ぼっちの祖父の為に、自分の出来る事を精一杯しようと思っていた。その祖父が亡くなり、自分の役目は終わったのだと思った。だから自分はもう存在する必要が無いのだと納得していた。だからアルトゥールが自分を引き取ると言い出した時は、ひどく戸惑った。自分の存在する意味が分からなくて、笑わなくなったのだ。「私も自然の摂理に反している存在です。破棄するべきなのではありませんか」自分を作った事をアルトゥールは後悔しているのではないかと、スティーナはずっと疑問に思っていた。呪術で生命を作ってしまった事、しかも意思を持ってしまっている事。だから自分をこの家に隠しているのではないかと。確かにアルトゥールはスティーナの存在を隠していた。好奇の目で見られるのも嫌だったし、こんな呪術が可能な事も公にしたくなかった。公になった場合、悪用されない保証は無い。例えばいくらでも代用の利く奴隷のように。三体牛鞭--三體牛鞭
「私は自分で自分を破棄出来ません。そのように出来ていますから。ですがアルトゥール様なら、呪術を解くなり崖から突き落とすなり……」淡々としているスティーナの言葉はそこで遮られた。「死にたいのか」「……分かりません」「死にたいと思っていないのなら、生きれば良い」素っ気ない口調でそう言うと、アルトゥールは家に入るように促した。それ以上スティーナはその話題を続けず、大人しく従った。納得したからなのかどうか、アルトゥールには分からなかったが。人形作りの職人では無いアルトゥールには、スティーナがどんな傷を負っても治せない。壊れたらそれで終わりだ。しなくていいと言ってもスティーナは毎日家事をし、それは人形の寿命を確実に縮めている。おそらくルティアナである自分の方が長生きだろうと、アルトゥールは思っている。だから、最後まで側に居てやろうと決めていた。祖父を亡くして独りになった彼女が、二度と独りにならないように。スティーナは台所で夕食の後片付けをしながら、不思議な気分だった。ヴィスリンは自分に友人への挨拶をしてくれ、アルトゥールは自分の側で生きていて良いと言ってくれる。それに対して沸き上る温かい感情がある。人形であるはずのスティーナは、自分は幸福なのだと心の底から感じていた。

 ある日の午後、アルトゥールが自室で読書をしている時だった。右耳のピアスが急激に熱を持った。それはある知らせだった。急いでアルトゥールは立ち上がると、戸棚から色んな道具をかき集め始めた。それを袋につめると、大きな声でスティーナを呼んだ。「何でしょう、アルトゥール様?」穏やかに聞くスティーナと正反対に、アルトゥールは急用が出来たから出かけて来る、と切羽詰まった声で告げた。「帰りは何時頃になるか分からない。だが心配しなくて良い」「はい、お帰りをお待ちしています」それだけ言葉を交わすと、アルトゥールは玄関から飛び出して行った。開け放たれたままの扉を閉めようと、スティーナは玄関に近付いた。その時にはもう見える範囲の何処にも、アルトゥールの姿は無かった。相変わらず馬に乗るのが下手なアルトゥールだが、この時使った移動手段は馬では無かったのだ。

 その頃、西の国境付近では激しい戦がおきていた。隣国の連中は異教徒を殺せば殺す程、自分達の信仰している神に祝福されると信じているので容赦も迷いも無い。だが大人しく殺されてやる気は、当然ヴィスリンには無い。剣も弓も、ヴィスリンの腕は良かった。だがこの時、ヴィスリンは自分の部隊からはぐれてしまい、孤立していた。身につけている鎧から下級軍人で無い事は、隣国の戦士達にもよく分かった。地位の高い敵を倒せば褒美ももらえるし、神の祝福もより受けられる。そう考えた隣国の戦士達は、一斉にヴィスリンに斬り掛かった。相手にするには多過ぎるな、と考えながら、それでもヴィスリンは勇猛に戦った。最下級の地位の軍人見習いから大隊長にまで登り詰めただけの、実力の持ち主なのだから。それでもやがてヴィスリンの体力はひどく消耗してきた。もう何十人敵を倒したか分からない。体力には自信があったが、戦は昼過ぎから続いておりもう夕刻が近い。背後に敵の気配を感じて振り返った時、傾きかけた陽が視界を奪った。まずいな、と思った時だった。ヴィスリンの身体に敵の剣が刺さり、激しく吹き出した血液は敵の身体をも濡らした。ぼんやりと自分から飛び散る血液を見ながら、ヴィスリンは心の中で妻にすまない、と呟いた。そして急激に意識を失った。そのまま地上に倒れるはずだったヴィスリンの身体を、支えた人物が居た。何時の間に何処から現れたのか、鎧も身につけず剣も弓も持たず、どう見ても軍人には見えなかった。だが敵には違いないだろうと、隣国の戦士達は剣を構え直した。「去ね」その人物が発した声は地の底から沸き上るような、激しく深い響きを持っていた。どう見ても軍人では無い丸腰の男に、隣国の戦士達は圧倒された。そのひるんだ一瞬に、それは起こった。その男から真っ白い閃光が起こり、その場に居た誰もが視界を奪われた。そしてようやく目を開いた時には、二人共戦場から姿を消していた。

 ヴィスリンは地面に横たわっていた。その身体の周囲には正五角形に護符が置かれ、色の付いた砂で護符が繋げられ魔法陣が作られていた。それは他者から身を隠し守る為の、二重の結界だった。やがてヴィスリンが意識を取り戻し目を開けると、周囲は真っ白だった。半球の形をした白い何かに包まれている。そして戦場に居たはずなのに、物音も声も何も聞こえない。自分がどういう状況なのか、ヴィスリンはさっぱり分からなかった。「気がついたか」聞き間違えようもない声、その方向に視線をやるとアルトゥールが自分の横に座っていた。ヴィスリンの身体にかざされた両手からは、不思議な何色もの光が出ていた。その光がヴィスリンの身体を包んでいる。「……アルトゥール……どうして、此処に……?それに、この空間は、一体……?」「無理に口を聞くな。体力を消耗する。……以前約束させただろう、絶対に俺のつけたピアスを外すな、とな」無理矢理つけさせたガーネットのお揃いのピアス、それには金具部分に古代の神聖文字が刻まれた、呪術の道具だったのだ。どんなに遠く離れても、ヴィスリンの生命の危険を察知出来るように。優れた呪術師のアルトゥールには、瞬時に駆けつける事が可能なのだ。ヴィスリンはひどく疲れているが、不思議と痛みはそれ程感じていなかった。あれだけ出血したのを、自分の目で見たはずなのに。これはもしかして死期が近付いて、感覚が鈍っているのだろうか。だがそれでもヴィスリンは構わなかった。出来ればもう少しでも長生きしたかったが、今日まで妻の故郷を守る為に戦えたのだから。「ヴィスリン。お前、これで死んでも本望だと思っているだろう」図星を刺されて、ヴィスリンは力無く笑った。だがそんなヴィスリンを見るアルトゥールの目つきは冷ややかだった。
「お前が本望だろうが、何だろうが、俺はお前を死なせる気は無い」アルトゥールの両手から出ている不思議な光、それはヴィスリンもまだ見た事が無い、治癒の呪術の一種だった。全身全霊を込めて、アルトゥールはヴィスリンを救おうとしていた。だが用意した呪術道具と自分の治癒術だけでは、足りそうにない。それ程ヴィスリンの傷はひどかった。以前から心に決めてはいたが、アルトゥールは最後の手段に出る事にした。今二人は結界の中に居るので、誰からもその姿は見えない。だが周囲にはまだ多くの隣国の戦士達が居る。アルトゥールは彼等から生命力を奪う事に決めた。どうせ殉死を賛美する連中なのだ、有効に戦場で死なせてやる。それが正しい事だとアルトゥールは信じている訳では無い。だがアルトゥールにとって、どちらの命が重要なのかは自明の理だった。『東の木、南の火、西の金、北の水、中央の土。青なる春、赤なる夏、白なる秋、黒なる冬、黄なる四季。この者に花びらの降る朝を与えたまえ!』それは古代の神聖語だったから、ヴィスリンには何を言っているのか分からなかった。だがアルトゥールが呪術師としての力を発揮しているのは分かった。次第にヴィスリンを包む光が激しくなっていく。それは結界の外に居る多くの隣国の戦士の、生命力を奪ってヴィスリンに注ぎ込んでいるのだ。当然生命力を奪われた者は死ぬしかない。国が違うと言うだけで、信仰している宗教が違うと言うだけで、殺戮を繰り返す隣国をこれ以上は無い程に忌み嫌っていたのに。今そのアルトゥールもヴィスリンを救う為とは言え、殺戮者だった。自分は死後か何時か、呪術者として何らかの罰を受けるかもしれない。アルトゥールはそう考えていた。スティーナと言う自然の摂理に反した生命体を作り、今こうして他人の命を奪っている。だが他に選択肢など有り得なかったのだ。ひどい出血の為にヴィスリンは再び意識を失っていた。救う為ならば何でもする。例え救えなくても俺の側で死んでくれ。それがどんなに自分勝手な事かは、アルトゥールは理解しているつもりでいた。そして強い願いに涙を流したい衝動にかられながら、長い時間呪術を行っていた。超強 黒倍王

 やがてヴィスリンは、自分を呼ぶ複数の声で目を覚ました。すでに陽は山陰に隠れており辺りは薄暗く、戦は一時中断となっていた。上に成り上がり者と嫌われているヴィスリンだが、部下からの信頼は厚い。行方不明になったヴィスリンを、部下達は文字通り必死で探していたのだ。「良かった……ヴィスリン大隊長、ご無事でしたか」部下達の安堵の言葉に、ヴィスリンは自分の身体に手を当てた。致命傷になる程の傷を負ったはずなのに、出血もしていなければ痛みも無い。鎧を着ているので見えなかったが、僅かな傷跡すらその身体には無かった。鎧も顔も手も血で染まっていたが、部下達は返り血なのだと解釈した。ただヴィスリンは気を失っていただけなのだと。地面に寝転がっていた身体を起こすと、やけにヴィスリンは頭が重く疲れていた。アルトゥールが側に居てくれたような記憶があるが、あれは夢だったのだろうか。戦場で独りで死ぬ事になると思っていたヴィスリンは、それが現実だったなら嬉しいのだが、全く現実感が残っていなかった。部下達に身体を支えられて、まだ足に力は入らなかったが、無事にヴィスリンは本陣へと生還した。

 その夜、アルトゥールは居間で一人酒を飲んでいた。その様子を眺めながら、スティーナは自分が人形でなければ、飲むのに付き合えるのに、と考えた。それをアルトゥールが望んでいるかどうか分からなかったが。酒の肴をテーブルに並べた後、スティーナはアルトゥールに話し掛けた。スティーナはアルトゥールがヴィスリンを助けに行った事を知っていた。服にも手にも血を付けて帰って来たので、隠しようが無かった。そしてヴィスリンを救えたのを喜ぶ反面、隣国の連中の命を奪ったのを後悔しているのを、スティーナはアルトゥールの態度から分かっていた。「あの、アルトゥール様」「……どうした」「ヴィスリン様を救われた事は、後悔なさる事では無いと思います」それは思いやりからの言葉だと分かっていたが、アルトゥールは自嘲めいた笑みを口元に浮かべた。「隣国の連中は、この国の者への殺戮に何の躊躇いも無い。俺はそれを軽蔑してきた。だが俺が今日した事も、あいつらのしている事と、変わりなどしない」しばらくスティーナは悲しそうに考え込んでいたが、一所懸命言葉を選んで話し始めた。何時も生気の無いスティーナだが、この時は声に優しい熱を帯びていた。「隣国の者達は、侵略し支配する為にそうしています。ですがアルトゥール様は、大切な者を守る為にそうなさいました。私はそう信じています」そうだろうか、とアルトゥールは納得出来なかった。圧力と解放の差はあるとしても、隣国の連中も大切な者の為に戦っているつもりのはずだ。自分のした事が許される事だとは、アルトゥールには思えなかった。
「……それから、遅くなり申し訳無いのですけれど」「何をだ?」「有り難うございます、私を作って下さって。私が存在する罪は、それを喜ぶ私が引き受けます。アルトゥール様に罪はありません」心の底からスティーナはそう思っていた。少なくとも自分が存在する事で、身寄りをなくした祖父は幸せな晩年を過ごせたはずだ。正確には人形のスティーナの祖父では無いが、スティーナは祖父の事がとても好きだった。だからアルトゥールに感謝していた。礼を言われてアルトゥールは面食らった。昔なじみの孤独な人形職人の頼みを聞いてやりたかった気持ちは、確かにあった。だが自分の呪術がどこまで通用するか、試してみたかったのも事実だ。優しさだけで、アルトゥールはスティーナを作った訳では無い。
 そんな事はスティーナは、実は分かっていた。分かっていて、それでもアルトゥールに好意を抱き、感謝しているのだ。呪術を試してみたかっただけなら、用が済めば邪魔な自分など破棄すれば良いのに、アルトゥールはそうしなかった。こうして側に置いてくれている。「出過ぎた事を色々と申し上げました。お許し下さい」お辞儀してスティーナは下がろうとしたが、アルトゥールはそれを引き止めた。「……しばらく此処に居てくれないか」「私はお酒のお相手も出来ませんが」「かまわない。居てくれるだけで良い」「はい、アルトゥール様」穏やかに笑うと、スティーナは長椅子に座るアルトゥールの隣に座った。弱くて悲しき生き物達。彼等に夜は冷たくは無かったが、それでも朝を待ち望んでいた。自分にも、自分以外の者にも。

 居間でアルトゥールは今日届いた手紙を読んでいた。そこへスティーナがお茶を運んで来た。相変わらずしなくていいと言っても、スティーナはこうして家事をしていた。それも必要最低限以上の事を。「どうぞ、アルトゥール様」テーブルにポットとカップを並べ終えると、軽くお辞儀をした。下がろうとしているスティーナをアルトゥールは引き止めた。「君も座ると良い」そう言いながらアルトゥールは持っていた手紙を差し出した。座って読めと言う事なのだが、スティーナは受け取ろうとしなかった。人形の身体は疲れる事を感じず、滅多に座らない。差し出されたとは言え、人の手紙を読んで良いのか分からない。戸惑っているスティーナに、アルトゥールは好意的な笑みを浮かべた。「遠慮しなくて良い。封筒の宛名は俺だが中身は俺と君宛だ」「私にも、ですか」それでは失礼致しますと言ってから、ようやくスティーナは椅子に座った。そして手紙を受け取ると、それはヴィスリンからだった。当然の事ではあった、他にスティーナの存在を知る者は居ないのだから。手紙には簡単な近況や、近いうちに休暇が出るので村に戻る事が書かれていた。「お戻りになられるのなら、こちらにいらっしゃるでしょうか」「書いては無いが、来るなと言っても来るだろう。楽しみか?」「はい。ヴィスリン様はお優しい方ですから」口にはしなかったが自惚れても良いのなら、ルティアナの挨拶をしたヴィスリンは唯一の友人だ。祖父の家で暮らしていた時も、スティーナに友人は居なかった。孫娘が亡くなった事は周囲に知られていた為、誰にも存在を気付かれないよう細心の注意を払っていた。
 誰にも知られず暮らしているのは今も変わらない。そしてスティーナにとってアルトゥールは、主人であり友人では無かった。自分は小間使いで、それがこの家で暮らす意味だと考えていた。家事をしなくていいと言われても、スティーナには特にする事が無い。それに自分を作ってくれた感謝も込めて、毎日あれこれと家事をしていた。それで自分の寿命を縮める事になろうとも構わなかった。「昇進なされるのですね」手紙には現在の大隊長から将軍補佐への昇進の話がある、と書いてあった。だがアルトゥールはどうだろうなと答えた。現在の大隊長の地位に就く時にも、随分な反対意見があったと聞いていた。しかしヴィスリンの功績は充分大きく、反対意見の者達もそれは認めざるをえなかったのだ。自分の産まれた階級が自尊心を支えている。そんな奴は平民階級産まれの者が、異例の早さで昇進するのは面白く無い。自分より歳下に見える者が自分と同格、もしくはより昇進すれば、更に面白く無い。だから、とアルテゥールは言葉を続けた。「あいつは大抵の上の連中に嫌われてる。もちろん国王は、どれだけ反対意見が出ようが昇進させれる。だがあまり昇進させても敵を作るだけだからな……いや、これ以上はもう敵を作れないか」「そんなにも、嫌われていらっしゃるのですか」感情の変化をほとんど見せないスティーナだが、驚いたような口調だった。会った時間は短いが、人に嫌われるような性格には思えない。階級が高いしかも軍の人間関係の事を知らないので、不思議でたまらなかったのだ。
「頭の固い連中にだけな、部下からは随分と好かれてる。まああいつの場合は、本人に昇進願望がたいして無いんだが」「そうなのですか?」「西の国との隣接地域を守れれば、それで良いのさ。あいつは……」そこまで言いかけてアルトゥールは止めた。スティーナが困ったような表情になっていたからだ。面白く無い嫌な話を聞かせてしまっただろうか、と少し不安が沸いた。「どうした?」「あの……私はそこまで立ち入った事を、伺って構わないのでしょうか」その質問にアルトゥールは思わず笑みをこぼして説明した。ヴィスリン本人が隠していない事を、友人のスティーナに話しても少しも構わないと。そして軍人の志望動機についても。友人と言われてスティーナは僅かに、照れくさそうな嬉しそうな表情を浮かべた。ヴィスリンがスティーナを友人だと呼んだ事がある訳では無い。だがそう思っていないのなら、今回の手紙を自分宛だけにしたはずだ。だからアルトゥールは当然の事として、自分達二人共がヴィスリンの友人だと考えていた。「今でも奥様を愛していらっしゃるのですね」「大恋愛だったし、今でもあいつは恋愛中だ」昔の仲睦まじい様子を思い出しながら、アルトゥールはそう答えた。自分でポットから二杯目のお茶を注ごうとして、ふと手が止まった。つい先程までとは打って変わって、スティーナが沈んだ表情をしていたからだ。
「どうした?スティーナ」「アルトゥール様は……ご結婚なさった事がおありなのですか」無い、と簡潔に答えられると、スティーナの表情は更に沈んだ。その表情の変化を見て、アルトゥールは訳が分からないでいた。自分に結婚の経験が無い事が、スティーナにどう関係すると言うのだろうか。本当にずっと独身で居るが、それを不満に思った事は一度も無い。「どうしてそんな顔をする?」「……私がこの家に居る事が、ご結婚の妨げなのではありませんか」スティーナの中には自分を優先させる発想が無い。以前アルトゥールは、死にたいと思っていないのなら生きれば良い、と言った。そう言ってくれたのだ、人形でも生きていて良いのだと。それをとても嬉しく思っていた。だが自分の存在が妨げになるのなら、破棄されて構わないとも思っていた。「そんな事は無いさ」「不便な村外れで暮らしていらっしゃるのも、私のせいです」アルトゥールは立ち上がると、スティーナの座る椅子の手すりに座った。そしてうつむいているスティーナの顔を覗き込んだ。そうされると増々スティーナは深くうつむいてしまった。生きる事に前向きになったと思ったのだがな、とアルトゥールは心の中で小さく溜め息をついた。スティーナを引き取ったのも、その為に村外れに越した事も、全て自分で決めた事だ。生活を乱されて困ると思わなかったし、事実そうなっていない。
「そんなに俺を結婚させたいか?」「私はアルトゥール様の邪魔になりたくないのです」「なっていないさ」「ですが……」更に言葉を続けようとするスティーナの口を、アルトゥールは手で軽く塞いだ。驚いて口を塞がれたまま、スティーナは顔を上げてアルトゥールへ向けた。視線の先には優しさに溢れた視線があった。「それならスティーナ、君が俺の妻になってくれるか」その言葉にスティーナは目を見開いた。冗談にしては表情も口調も真面目過ぎる。だが真面目な話にしては非現実的過ぎる。自分は人間では無いのに、感情はあっても人形なのに。「嫌ならそう言ってくれ、今聞いた記憶を呪術で消す。その方が暮らし易いだろう?」「私は小間使いの自動人形です」そう言うスティーナの口調は震えていた。どうして震えているのかは本人にすら、はっきりとは分かっていなかった。だが少なくとも求婚に対する嫌悪では無いと、アルトゥールは漠然と感じていた。もちろんスティーナは嫌悪など感じていなかった。もっと別の事を感じていた。「俺は君を小間使いだと思った事は無いし、そうだとしても関係無い」「それでも人形です。子供を産む事も出来ません」「俺は子供が欲しいと言ってるんじゃない。スティーナと結婚がしたいと言ってるんだ」「私は……」それ以上は言葉が続かなかった。その代わりにまだ軽く口を塞いでいるアルトゥールの手に、幾つもの水滴が落ちた。それは確かに温かかった。有り得ないと言えばそうだろうが、そもそもスティーナの存在自体が有り得ない事だ。だがこうして生きている。ゆっくりとアルトゥールは手を離した。「返事を聞かせてくれないか」「……妻になります……アルトゥール様、喜んで……」「有り難う、嬉しいよ」まだ涙をこぼしているスティーナを、アルトゥールはそっと抱きしめた。誰にも祝福される事は無く、知られる事さえも無く。唯一人ヴィスリンを除いては。それでも二人は心からそうしたかったのだ。天宝五夜神カプセル
posted by chinaseiryokuzai at 15:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月14日

短編曖昧な関係

 読んでいた本に影が差した。
 顔を上げれば、いつもの顔。
 渋面を作った年下の――といってもほんの数ヶ月だけの差。学年は一緒だ――従弟が近くに寄ってきていた。
 また別れてきたのか。 彼はいつも付き合っていた彼女と別れるたび、あの表情をしてここに来るのだ。いい加減表情を見るだけでわかるようになってしまった。
 全くご精の出ることで。
 お付き合いなんて面倒だと思うのに、彼は飽きずに彼女をころころ変えつつ女と遊び歩いている。早ければ半日。長くても数ヶ月単位で切り替わる彼女達。
 もっときっちり一ヶ月とか一週間とか決まっているならカレンダー代わりになるのに、と思ってしまう。
 見習いたいなんて思わないけれど、少し感心する。
 私は、特に彼氏が欲しいと思ったことは今までないし、それで特に困った覚えもない。滋養強壮
 きっと、彼の女遊びは一種の病気なんだろうなと私は思う。
 誰かが傍にいないと、きっと耐えられないのだろう。
 だから、こうして彼女と別れると、彼はここに来る。人を求めて。
 私は本を閉じると座っていた位置を少しずらして、彼のために場所を空けてやった。
 今日はもう本を読む時間はないだろうな、と思いながら。

 
「また、泣かしたの?」
「初めにいってあったのに、約束を破るあいつが悪い。」
「ずいぶん勝手よねぇ。あんたってば相変わらずなんだから。」
 少しくらい許してやればいいのに。
 彼は約束を破られるというのを異常なまでに嫌う。環境を考えるとそれはわからないでもないのだが、少し度を越しすぎていると思うのは気のせいではないだろう。
「俺はちゃんと言った。お前のことを一番に考えてやれないし、好きになれるかもわからない。それでもいいかって。」
「それで、彼女はそれでもいいと言ってたのね?」
 いいと言っていた、つまり今は違うことを言われたんだろうという意味を含めてあの子を見ると、彼は頷いた。
「自分だけを見て欲しいとか、好きになってくれとか言ってきたんだ。――約束したのに。」
 彼女にとっては約束ではなかったのだろう。
 その時は違っても、彼に好きになってもらえる自信があったに違いない。だから頷いたのだ。彼にとっての『約束』であるというのも知らずに。
 そうして、『約束を違え』て、彼に別れの言葉を告げられたのだろう、多分ついさっき。
 今その彼女は泣いてるだろうか?怒ってるのだろうか?
 彼の表情を見た限り前者かな、と思う。怒っていたのなら、むしろせいせいした顔をしていそうだ。
 元々冷たく整った顔立ちの口元の辺りが少し歪み、眉間にがよっていた。
 やれやれ。可愛い女の子の泣き顔でいらだつなんて女好き――傍から見れば――の風上にも置けない。
 まぁ、小さい子がどんなに可愛くても、鳴き声が煩く感じるのと同じようなものなのだろうか。強精剤
「――皺ができるよ。」
 彼の眉間を撫でるように指を滑らせた。不機嫌な時の彼を触っても怒られないのは私だけの特権だ。
 それが、少しだけ嬉しいと思っているのはここだけの秘密。
 なんだかんだでしょうがないとは思っていても、可愛い弟のように思っている。ひょっとすると私にはブラコンの素質があるのかもしれない。
 彼は従弟であって弟ではないけれど、似たようなものだろう。
「せっかくあんた綺麗な顔してるんだから。もう少し大切にしなさいよ。」
 このご面相だからとっかえひっかえしていても女の子が寄ってくるのだろう。
 人間外見だといいたくはないが、しかし見た目で得することが多いのも事実。眉間に皺なんてよっていたら、そのうち彼をもてはやす女の子達もよってきてくれなくなるのではあるまいか。
「香乃姉(こうのねぇ)・・・」
「何よ、聞いてるの?」
 せっかく忠告してあげているのに、忠告損は勘弁して欲しい。
「聞いてる。・・・ねぇ。」
「・・・・・・・またなの?」
 私より背が高いはずの彼が少し身を丸めて、こちらを伺うように上目遣いでこちらを見た。
 甘えるような媚びるようなそんな仕草で。
 ため息をついた。呆れた為ではなく、諦めを込めて。
 ああ、私も大概彼に甘い。
 本当のことを言えば、彼のためにも自分のためにも断るべきだとはわかっているのだが、どうにも彼のこの視線に弱い。
 小さい頃、実の母親に捨てられた彼の姿が重なる。
「この女好き。」
「そういうわけじゃない。・・・ただ、安心するんだ。」
 お願い、と彼は私に請う。不機嫌で近寄りがたい印象は拭い去られ、どこかほっておけない弱弱しさを漂わせながら。
「今回だけだよ?」
「・・・・・・・。」
 私は何度となく繰り返した「今回だけ」の言葉をまたしても沈黙で返された。今回だけだ、に対して彼が頷けばそれは『約束』になってしまうから、彼は何度繰り返しても頷こうとしない。
 ああ、ため息が出る。――彼を拒否できない自分の弱さに。
「しょうがないなぁ・・・いいよ。おいで。」
 私は上半身を後ろに倒して、横たわる。
 直ぐに彼の重みがのしかかってきた。背中にあるのはスプリングの利いたわたしのベッドだから痛くはないけれど、重い。
 そっと確かめるように彼の腕が私の体に回り、少しづつ少しづつ身に着けていたものが剥がされていく。
露になっていく白い肌を、まるで他人事のように私は見ていた。
 何回繰り返しただろう?こういうことを。――もう数えるのはやめてしまった。精力剤

 初めて彼とこういうことになったのは何年前だったか。
 2年か、3年前だろうか?
 その頃は女遊びなどしていなかった彼だが、代わりに物凄く精神的に不安定で。私は人を一人支えられるほど精神的に成熟しているわけでも、強くもないから、代わりに身を投げ出した。一種の安定剤代わりに。
 何回か彼を慰めているうちに立ち直ったように見えたので、もう大丈夫だろうと手放してみたら――いつの間にか女の子達と遊ぶようになっていた。それでも表面上は大丈夫そうに見えたから放って置いたのだが、ある日、彼はこうして私の前に来て言った。
「彼女と別れた」と。
 そうして今みたいに希った。その時了承してしまった私が悪いのか。以来彼は『彼女』と別れるたびに私の元に来る。

 私の体を抱き枕か何かと勘違いしているのだろうか?それともやっぱり安定剤か何かだろうか。
 彼は優しく大事なものを触れるように触れる。あんまり優しくされると勘違いしてしまいそうになるから、抱き枕だと思っているのなら、もっとそれなりの態度を示して欲しい。
「気持ちいい?」
「・・・ぅ・・・ん・・・。」
 彼のくれる蕩けるような感覚は好きだ。気持ちいい。
 甘さに酔って、意識が遠くなるような、そんな快感が身の内を走る。
「もっと気持ちよくなっていいよ。」
 彼の愛撫は本当に絶妙で。
 自分本位でことを進めることもなく、相手の快感を追及してくれる。かといって押しが弱いということもなく。
 ちょうどいい具合。
「ん・・・ぁ・・・・ふ・・・・も・・・ダメ・・・」
 私が音を上げるとふんわりと笑った。体勢を変えて、体を重ねてくる。
 彼と私は一つになった。


 きっと、明日には彼には又新しい彼女ができているのだろう。
 でも、きっと暫くしたら別れて、またこうして私と彼は抱き合っているのだろう。
 彼が私を必要としなくなるその時まで。
 愛なのか同情なのか憐憫なのかよくわからない、複雑な感情を胸に抱きながら、急速な眠気に襲われて私は眠りに付いた。男根増長素


だから。
「後、何回この手を使えるかな?」
という彼の呟きは耳に届かなかった。
posted by chinaseiryokuzai at 12:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする